スーパープラネット
山佐3号機時代の代表格。表のスペックはおとなしいはずが、裏モノの噂が絶えなかった時代の顔でもある。
特集 ─ 平成2年
1990
株価は年明けから落ちはじめていた。それでも街は、まだバブルの浮かれた空気の中にあった。 アッシーくん、おやじギャル、ちびまる子ちゃん。 そしてホールでは10月、ひとつの規則改正が景色を一変させる—— 1980年代を沸かせた一発台が消え、代わりに「確率変動」が生まれた。 いまのパチンコは、この年から始まっている。
← 思い出年表にもどる1990年8月30日、遊技機の規則改正が公布され、10月1日に施行された。 禁止されたのは一発台とおまけチャッカー。 「特定の穴に一発入れば、あとは打ち止めまで出続ける」—— 80年代のホールを熱狂させたあの遊び方は、この日を境に姿を消していく。
引き換えに与えられたものがある。大当たり出玉の上限は1,300個から2,400個へ。 最大ラウンド数は10から16へ。そして「確率変動」が認められた。 大当たりのあと、次の当たりが引きやすくなる——この発明が、 以後35年のパチンコのゲーム性をすべて決めることになる。 初の確変機『フルーツパンチ』(大一商会)が登場するのは、この直後のことだ。 景品の上限額も1万円に引き上げられた。
スロットは3号機の時代へ。表向きのスペックはおとなしく、だからこそ裏モノが蔓延した。 店内に響いていた軍艦マーチは、騒音問題と女性客の増加でこの頃を最後に消えていく。 それでもホールの数は、フィーバー機ブームに乗って年に400〜500軒ずつ増え続けていた。
おどるポンポコリン / B.B.クィーンズ ── 年間1位・130.8万枚。ちびまる子ちゃんと共に社会現象になった。(映像は25周年版)
浪漫飛行 / 米米CLUB ── JALのCMで大ヒット、年間2位・61.9万枚。(映像はTHE FIRST TAKE版)
【一発台 誕生と終焉】 ── この年に消えていった一発台33機種を振り返る回顧動画。
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3号機時代の代表格。表のスペックはおとなしいはずが、裏モノの噂が絶えなかった時代の顔でもある。
規制の波の中でも羽根モノは健在だった。一発台なき後のホールで、遊べる台の受け皿になっていく。
台の名前が『道路工事』。版権もタイアップもない、名前ひとつで勝負していた時代の記念碑。
のちにジャグラーを生む北電子が、この頃出していた3号機。GOGO!ランプ誕生はこの6年後のこと。
この年、あなたはどこで何をしていましたか。