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パチンコ ─ CR機
CR海物語(S5)
三洋物産(2月)海物語シリーズ、正真正銘の第一号機。前年のCRギンギラパラダイス(三洋物産)の後継機として2月に登場し、液晶を泳ぐ魚たちとサメ図柄、専用BGMをそのまま受け継いだ。大当り確率1/321.5、5ラウンド継続。この一台からシリーズは20年以上続く国民的ブランドへと育っていく。
特集 ─ 平成11年
1999
2月22日、NTTドコモが世界初の携帯電話インターネット接続サービス「iモード」を開始する。 手のひらの中でメールが読める――たったそれだけのことが、この年から生活を変えていく。 同じ2月、三洋物産のホールでは新台『CR海物語(S5)』が動き出していた。1995年の 『CRギンギラパラダイス』の後継機として、液晶を泳ぐ魚たちとサメ図柄をそのまま受け継いだ この一台こそ、後に20年以上続くことになる『海物語』シリーズの正真正銘の第一号機だった。 9月には東海村でJCO臨界事故が起き、巷では「ノストラダムスの大予言」が話題になり、 世紀末という言葉が現実味を帯びていく。それでもホールの新台入替は止まらず、大花火、 ジャグラーVなど、のちに「名機」と呼ばれる台が次々と生まれていた年でもある。
← 思い出年表にもどる1999年のホールを振り返るとき、後から見ればいちばん大きな出来事は、実は当時 さほど騒がれてはいなかった。2月、三洋物産が投入した『CR海物語(S5)』—— 前年までの『CRギンギラパラダイス』の後継機として、液晶を泳ぐ魚たちとサメ図柄、 専用BGMをそのまま受け継いだ一台である。大当り確率1/321.5、5ラウンド継続という、 当時としてはごく普通のスペック。しかしこの台こそが、後に20年以上にわたって ホールの顔であり続けることになる『海物語』シリーズの、正真正銘の第一号機だった。
三洋物産はこの年、S5に続けてスペック違いの『CR海物語3』『CR海物語3R』『海物語7』を 次々と展開し、早くもシリーズとしてのラインナップを広げていく。同時に、パチスロでは アルゼの『大花火』が「設置していないホールはない」と言われるほどの大ヒットになり、 エレコの『アステカ』がCT機の代表格として人気を集めた。北電子はジャグラーシリーズ 2代目『ジャグラーV』を送り出し、SANKYOはフィーバーシリーズを、この年も月を追うごとに 矢継ぎ早に投入し続けていた。
世の中では9月30日に東海村でJCO臨界事故が発生し、「ノストラダムスの大予言」が 現実味を帯びて語られる、どこか落ち着かない世紀末の空気が流れていた。それでも ホールの灯りは変わらず点り続け、新台入替は止まらなかった。あとから振り返れば、 この年に生まれた一台が、業界の未来を静かに決定づけていたことになる。
だんご3兄弟 / 速水けんたろう・茂森あゆみ ── 年間1位・291.8万枚。NHK『おかあさんといっしょ』の『今月のうた』として3月にリリースされ、大人も巻き込む社会現象になった。動画はNHK公式版ではなく、正規に配信している童謡アーカイブチャンネルのアニメーション版。
Winter,again / GLAY ── 年間2位・163.8万枚。2月3日発売。第41回日本レコード大賞グランプリ受賞曲で、GLAY自身の最大ヒットシングルになった。
energy flow(『ウラBTTB』)/ 坂本龍一 ── 年間4位・155.0万枚。5月26日発売。三共『リゲインEB錠』のCM曲として大ヒットし、インストゥルメンタル曲として初めて週間オリコン1位を記録した。
Automatic / 宇多田ヒカル ── 年間5位・約129万枚(12cm盤)。アルバム『First Love』からの1stシングル。当時15歳、日本語と英語のバイリンガルという新しさが話題を呼んだ。
Addicted To You / 宇多田ヒカル ── 年間6位・178.4万枚。11月10日発売の2ndシングルで、週間オリコン1位を2週連続で記録した。
LOVEマシーン / モーニング娘。 ── 年間7位・164.7万枚。9月9日発売、7thシングル。グループ初の週間オリコン1位を獲得し、ハロー!プロジェクトを代表する一曲になった。
HEAVEN'S DRIVE / L'Arc〜en〜Ciel ── 年間9位・112.4万枚。4月21日発売、16thシングル。初週63万枚超を売り上げ、週間1位を2週連続で獲得した。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。オリコン年間TOP10のうち、公式ミュージックビデオの実在が確認できなかった3曲(3位・8位・10位)は掲載を見送りました。
実機の写真は使えないため、当時の実戦動画・解説動画への入口として、YouTube公式のサムネイルを表示しています(対応する動画があるものだけ)。
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パチンコ ─ CR機
海物語シリーズ、正真正銘の第一号機。前年のCRギンギラパラダイス(三洋物産)の後継機として2月に登場し、液晶を泳ぐ魚たちとサメ図柄、専用BGMをそのまま受け継いだ。大当り確率1/321.5、5ラウンド継続。この一台からシリーズは20年以上続く国民的ブランドへと育っていく。
S5の翌月に登場したスペック違いの派生機。大当り確率1/315.5、15ラウンド10カウント。CR海物語3Rとはセル基板が違うだけの実質同一機種で、同じ年に複数スペックを並行展開する当時ならではの機種構成だった。
CR海物語3とセル基板が違うだけの実質同一機種。地域ごとの遊技規則の違いに合わせて、基板だけを差し替えたバリエーションが並行して出荷されていた。
海物語2と同じ8月に登場したスペック違いの一台。詳しい仕様の記録は乏しいが、この年のうちに海物語ブランドが急速にラインナップを広げていたことを物語る。
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パチンコ ─ CR機
SANKYO公式チャンネル「SANKYOFEVERTV」が『もう一度打ちたい!』シリーズで振り返るSX仕様の一台。ギリシャ神話の主神ゼウスをモチーフにしたフィーバー機。
詳しい仕様の記録は乏しいが、この年のSANKYOフィーバーシリーズの一台。
『CRフィーバーカジノRX』のスペック名で出荷された一台。カジノをモチーフにした演出が特徴。
格闘・バトルを思わせるタイトルのフィーバー機。詳しい仕様の記録は乏しい。
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パチンコ ─ CR機
SANKYO公式『もう一度打ちたい!』シリーズで振り返られているGP仕様。ホラーテイストの演出が持ち味。
実在の女子プロレスラー・アジャコングをモチーフにした異色機。パワーボム、ボディプレスなどの必殺技をリーチ演出で再現し、大当り確率はSPが1/211、DXが1/121。予告アナウンス『行くぞ』やビキニ姿のプレミアリーチも搭載していた。
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パチスロ ─ 4号機
『ハナビ』シリーズの正統後継機として登場し、最大711枚を獲得できるBIGボーナスを搭載。予告音、テトラリール、絡み出目まで完成度が高く、『設置していないホールはない』と言われるほどの大ヒットになった。
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パチスロ ─ 4号機
アステカ文明をモチーフにしたCT(チャンスタイム)機の代表格。CT中に鳴り続けるBGMが止まるまで抽選が続くという独特の緊張感が人気を呼んだ。
ジャグラーシリーズ2代目にあたる4号機。筐体はグリーンでリプレイ図柄も一新された。旧型筐体向けの『面(つら)交換』ユニットとして展開されたため流通量が少なく、シリーズの中でも屈指のレア機とされる。一部資料は発売年を1997年としているが、ここではWikipediaの記述に基づき1999年とした。
詳しい記録は乏しいが、この年にジャグラーメーカー・北電子が送り出した一台。
詳しい記録は乏しいが、この年の空気を伝える一台。
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パチスロ ─ 4号機
ビスティの前身・ダイドーが送り出したパチスロ参入第1弾。当時は『ダイドー』ブランドでの発売で、社名変更前の貴重な記録でもある。
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ほか2機種。 1999年の全機種を年表で見る →
9月21日発売の『週刊少年ジャンプ』43号から、『NARUTO -ナルト-』の連載がスタートする。 同誌ではすでに『ONE PIECE』が連載中で、世紀末のジャンプは次代を担う看板作品が並び立つ、 もうひとつの黄金期を迎えていた。ゲームの世界でも大きな動きがあり、11月21日には携帯ゲーム機用 ソフト『ポケットモンスター 金・銀』が発売。初代『赤・緑』から3年、シリーズは新章に 突入し、学校では通信ケーブルを使った対戦・交換がふたたびブームになった。
渋谷の街では、それまでの茶髪・ルーズソックスの『コギャル』から、さらに一歩踏み込んだ スタイルが生まれつつあった。肌を極端に焼き込み、その黒い肌に白いアイラインや口紅で色を 反転させ、髪を脱色して乱す――のちに『ヤマンバ』と呼ばれることになるこのスタイルは、 1999年から2000年にかけて渋谷109を中心に広がっていく。名前の由来は、伝承に登場する 『山姥』の乱れた白髪からきているという。
1999年(平成11年)全国TVCM集 ── その年に流れていたCMをまとめた懐かしのテレビ映像。当時の商品・ファッション・空気感がそのまま残っている。
1999年 渋谷散歩 ── 世紀末の渋谷・原宿・明治通りを歩いたアーカイブ映像。
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1月25日、NTTドコモが携帯電話向けの新サービスを発表し、2月22日にスタートする。その名は 『iモード』――世界初の携帯電話インターネット接続サービスだった。当時主流だった WAP/WMLではなく、パソコンのウェブと同じHTTPとHTMLを採用したことでコンテンツを作りやすくし、 なによりiモードメールが、それまでのショートメールより安く使えたことから爆発的に 普及していく。手のひらの中の小さな画面が、電話だけの道具から、メールとネットにつながる 道具に変わった瞬間だった。
CMには当時21歳の広末涼子が起用され、街中の看板にも彼女の顔が並んだ。あまりの契約者急増に、 この年の7月にはたびたび『つながりにくい』状態が起きるほどで――それもまた、誰も予想していなかった スピードで広がっていたことの裏返しだった。パチンコホールの液晶画面の中で魚が泳いでいたのと 同じ年、多くの人のポケットの中では、まったく違う画面が光り始めていた。
NTTドコモ「iモード」CM(1999年)/広末涼子 ── サービス開始当時に実際に流れていたテレビCM。
NTT DoCoMo関西 i-mode CM(1999年) ── 同時期に流れていた関西エリア向けのCM映像。
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この年、あなたはどこで何をしていましたか。