特集 ─ 昭和35年
1960
小さな花ひとつが、
『冬の時代』を終わらせた年。
6月15日、安保闘争が国会を包み込む。混乱の責任を取って岸信介内閣が退陣し、7月19日に
池田勇人内閣が発足。12月27日には「国民所得倍増計画」が閣議決定される。9月10日には
カラーテレビの本放送も始まったが、色のついた画面が映る家庭はまだひと握りで、街頭に
人だかりができる時代だった。街では『ダッコちゃん』人形が半年で240万個売れる騒ぎに
なっている。——そんな年、パチンコ業界にも小さな、しかし決定的な出来事があった。
1955年の連発式規制以来続いていた『冬の時代』を抜け出すきっかけとなる新しい役物、
『チューリップ』がこの年、成田製作所によって特許を取得したのである。
第2期黄金時代は、この一輪の花から始まった。
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第一章
『冬の時代』の底で、何が起きていたか
1955年の連発式規制から、この年ですでに5年が経っていた。最盛期の1953年には
全国45,317軒を数えたホールは、1956年から1962年にかけて底を打ち、
最も少ない時期にはおよそ8,800軒まで落ち込んだとされる。半分どころか、
5分の1近くまで数を減らした計算になる。連発式という強力な集客装置を失ったホールは、
単発式に戻った台の前で客足の回復をひたすら待つしかない、長く苦しい時期が続いていた。
そんな『冬の時代』のただ中、大阪の一人の部品メーカーが考えたごく小さなアイデアが、
業界の空気を静かに変え始めていた。玉が入ると花びらのように開き、次の玉を捕まえるまで
開いたままになる役物——それが、この年に特許を取得する『チューリップ』である。
当時はまだ、これがその後何十年もパチンコ台の顔になっていくとは、誰も想像していなかった
だろう。この年、業界団体の全国遊技機商業組合連合会(全商連)も発足し、東京・台東体育館で
最初のパチンコ機展示会が開かれている。
冬の時代、5年目。
ホールを再び満たすことになる一輪の花が、この年、特許を取得した。
第二章
ホールの中で、世の中で
4月
─
腕にぶら下げる黒い人形『木のぼりウィンキー』発売──のちの『ダッコちゃん』
5〜6月
─
安保闘争のデモが連日国会を包囲/15日、国会前で大きな混乱/責任を取り岸信介内閣が退陣へ
9月
─
10日、カラーテレビの本放送が始まる(世界で3番目の早さ)
通年
チューリップ、特許取得(成田製作所)——冬の時代を抜け出す第2期黄金時代のきっかけに/全国遊技機商業組合連合会(全商連)発足、東京・台東体育館で最初のパチンコ機展示会
『ダッコちゃん』人形、発売半年で240万個を売る社会現象に
第三章
この年の台
実機の写真は使えないため、当時の実戦動画・解説動画への入口として、YouTube公式のサムネイルを表示しています。1960年は資料に残る具体的な機種名がほとんど見つからず、確実に裏取りできた一台だけを掲載しています。
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パチンコ ─ ヤクモノ
チューリップ
成田製作所
1959年、大阪の部品メーカー・鳴尾辰三が考案した原型(入賞後、数秒だけレバーが開く仕組み)を成田製作所が買い取り、「次の玉を捕まえるまで開いたままにする」よう改良。この改良版が1960年に特許を取得し『チューリップ』として世に出た。1955年の連発式規制以来続いていた『冬の時代』を抜け出す第2期黄金時代のきっかけとなり、1966年の役物基準緩和後は年間400〜500万個を売る大ヒット役物になった。今日のパチンコ台に受け継がれる『ヤクモノ』文化の出発点。
サムネイルはYouTube公式が提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。
第四章
あの頃の空気 ── 安保と所得倍増、そして黒い人形
1960年は、戦後日本のなかでも特に慌ただしい年だった。5月から6月にかけて、日米安全保障条約の改定に反対する大規模なデモが連日国会を取り巻き、6月15日には国会前が大きな混乱に包まれた。その責任を取る形で岸信介内閣が退陣し、7月19日に池田勇人内閣が発足する。池田内閣は安保をめぐる対立から一転、経済政策を前面に押し出し、12月27日には「国民所得倍増計画」を閣議決定。10年でGNPを2倍にするという、その後の高度経済成長を方向づける目標を掲げた。
9月10日にはカラーテレビの本放送が始まった。アメリカ、キューバに次いで世界で3番目に早い導入だったが、当時のカラーテレビは自動車並みの価格で、色のついた画面を見られる家庭はまだひと握り。街頭や電器店の店先に人が集まって見る時代だった。一方、街のおもちゃ屋では思わぬ騒ぎが起きていた。4月に『木のぼりウィンキー』という名前で発売された、腕にぶら下げる黒い人形が6月ごろから若い女性の間で評判になり、マスコミが『ダッコちゃん』と呼んで取り上げると爆発的なブームに。発売から半年で240万個を売り上げる社会現象になった。
東京都公式のアーカイブ映像。都政広報用に撮影されたカラーフィルムで、昭和35年(1960年)当時の東京の街並みを見ることができる貴重な記録。
ダッコちゃんブームの実写映像。日テレアーカイブスの提供で、腕に人形をぶら下げて歩く当時の熱狂ぶりが記録されている。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
第五章
チューリップ誕生 ── パチンコ『第2期黄金時代』の始まり
1955年、大ヒットしていた連発式パチンコが射幸性を理由に規制され、業界は一気に冷え込んだ。ホール数は最盛期の半分以下まで落ち込み、いわゆる『冬の時代』が長く続いていた。その状況を一変させたのが、この年誕生した小さな役物だった。
きっかけは1959年、大阪の部品メーカー・鳴尾辰三が考えたアイデアにさかのぼる。玉が入賞すると数秒だけレバーが開き、その間にレバー上の玉も入賞扱いになる、という仕組みだった。このアイデアを成田製作所が買い取り、「数秒で自動的に閉じる」のではなく「次の玉を捕まえるまで開いたままにする」よう改良。この改良版が1960年、正式に特許を取得し、『チューリップ』として世に出た。
同じ年、業界団体である全国遊技機商業組合連合会(全商連)も発足し、東京・台東体育館で最初のパチンコ機展示会が開かれている。チューリップはこの後1966年の役物基準緩和を経て全国に広がり、最盛期には年間400〜500万個も売れる大ヒット役物になった。今のパチンコ台にも受け継がれる『ヤクモノ』文化は、この一輪から始まっている。
機械式チューリップの仕組み解説動画。玉が入ると花びらが開き、次の玉を受け止めるまで開いたままになる——1960年に特許を取得した基本構造を、実機の分解映像で見ることができる。
実際のチューリップ台の実戦動画。大一製のチューリップ台で大当たりが出る様子。手打ち式パチンコ全盛期の雰囲気が伝わる一本。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第六章
数字で見る1960
1960年成田製作所がチューリップの特許を取得。1955年の連発式規制以来の『冬の時代』を抜け出す、第2期黄金時代のきっかけになった
1960年12月27日「国民所得倍増計画」を閣議決定。10年でGNPを2倍にする目標を池田内閣が掲げた
1960年9月10日カラーテレビの本放送が始まる。アメリカ、キューバに次いで世界で3番目の早さだった
240万個発売半年間の『ダッコちゃん』人形の販売数。当初の商品名は『木のぼりウィンキー』
1960年全国遊技機商業組合連合会(全商連)が発足。同年、東京・台東体育館で最初のパチンコ機展示会が開かれた
1玉2円貸玉料金。1949年に定められ、1972年まで続いた
約8,800軒1956〜1962年にかけて落ち込んだホール数のおおよその底値。ピークだった1953年の45,317軒から大きく数を減らした
1955年連発式が規制され、業界が『冬の時代』に入った年。この年からすでに5年が経っていた