▶
パチンコ ─ 一般電役
フルーツパンチ年 要確認
大一商会保留玉での連チャンが持ち味で、大量出玉と連荘性を両立させた名機として今も語られる。日工組の年表では登場を1990年とする資料もあり、年については要確認。
調べたこと
大当り確率 1/240、賞球 7&14。
特集 ─ 平成3年
1991
1月、フジテレビ系の「東京ラブストーリー」と「101回目のプロポーズ」が相次いで話題を呼び、 最高視聴率は36.7%を記録した。それぞれの主題歌、小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」と CHAGE&ASKA「SAY YES」は、そのままこの年のオリコン年間シングルチャートの1位と2位に並んでいる。 5月15日には港区芝浦にディスコ「ジュリアナ東京」が開業し、お立ち台で扇子を振る若者たちの姿が 連日メディアを賑わせた――けれどその熱狂の裏で、株価はすでに下落を続けていた。 バブル景気、最後の輝きの年。世の中では1月に湾岸戦争が始まり、6月には雲仙普賢岳で 大火砕流が起き、年末にはソ連が崩壊する。ホールでは、名簿上この年の機種は パチンコ338・パチスロ17の計355機種——確変の最初期と、大量獲得『ミラクル』、フルカラー液晶『麻雀物語』が並んだ。
← 思い出年表にもどる1991年のホールは、まだ「CR機」を知らない。プリペイドカードを使うCR機の登場は翌1992年8月、 三洋物産『CRフラワーショップ』を待たなければならない。この年打たれていたのは、現金を直接 投入する現金機と、羽根モノ・権利物と呼ばれる仕組みが主役だった。
それでも、確実に次の時代への種は蒔かれていた。前年1990年末の風営法改正でようやく正式に 認められた「確率変動」機能を積んだ、SANKYOの『フィーバーチャレンジ』『タイムショックI』 のような一台が、この年すでに登場している。「確変」という言葉が業界用語からホールの日常語に なっていく、その最初期である。
パチンコでは、平和の『麻雀物語』が、業界で初めてフルカラー液晶を搭載した。それまで ドット表示やモノクロ液晶が当たり前だった盤面に、鮮やかな色彩の演出が現れる――以後のデジパチの 表示装置が進む方向を、この一台が決定づけた。パチスロでは、尚球社の『ミラクル』が、 業界初とされるMAXBETボタンとBIG中の期待値方式で、平均約450枚の大量獲得を実現したと語られる (当時の純増方式機は約360枚が相場)。4号機大量獲得機の源流とも言われる一台だ。サミー工業の 『アラジン2』(アラジンII)は集中役『アラジンチャンス』を3号機規則で再搭載し、山佐 『ホールインワン』、エーアイ『ハンター』、高砂『ドリームセブンJr』なども3号機中期のホールを埋めた。 沖縄向け3号機も複数並び、名簿は本土・沖縄合わせて厚くなっている。
ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正 ── 年間1位・254.2万枚。ドラマ「東京ラブストーリー」主題歌。
SAY YES / CHAGE&ASKA ── 年間2位・250.4万枚。ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌。オリコン週間13週連続1位。
愛は勝つ / KAN ── 年間3位・186.3万枚。1990年9月発売だが1991年に大ヒットし、日本レコード大賞を受賞。
どんなときも。 / 槇原敬之 ── 年間4位・116.4万枚。槇原敬之3rdシングル、1991年を代表するミリオンヒット。
はじまりはいつも雨 / ASKA ── 年間5位・107.1万枚。1991年3月6日発売、ASKAソロ名義のシングル。
あなたに会えてよかった / 小泉今日子 ── 年間6位・100.7万枚。1991年5月発売。作詞:小泉今日子、作曲:小林武史。
LADY NAVIGATION / B'z ── 年間7位・100.5万枚。B'z 8thシングル、1991年3月27日発売。
しゃぼん玉 / 長渕剛 ── 年間8位・75.9万枚。フジテレビ系ドラマ「しゃぼん玉」主題歌。1991年10月発売、24thシングル。
Eyes to me / DREAMS COME TRUE ── 年間9位・68.6万枚。1991年4月25日発売、9thシングル。ドリカム初のオリコン週間1位。
ALONE / B'z ── 年間10位・68.6万枚。B'z 9thシングル、1991年10月30日発売。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
名簿上の1991年機種は計355機種(パチンコ338・パチスロ17)。確変黎明のSANKYO、フルカラー液晶、大量獲得『ミラクル』、アラジン2などを星カードに並べた。実機写真は使えないため、見つかった範囲でYouTubeサムネイルを入口にしている。
▶
パチンコ ─ 一般電役
保留玉での連チャンが持ち味で、大量出玉と連荘性を両立させた名機として今も語られる。日工組の年表では登場を1990年とする資料もあり、年については要確認。
大当り確率 1/240、賞球 7&14。
▶
パチンコ ─ デジパチ
業界で初めてフルカラー液晶を搭載したデジパチ。ドット表示やモノクロ液晶が主流だった当時、その色彩表現は衝撃的で、以後のデジパチの表示装置の方向性を決定づけた一台。
大当り確率1/240、賞球7&15。
▶
パチンコ ─ 羽根モノ
平和の羽根モノ「ブンブン丸」シリーズの初代機。15R10C。大当り中は大役物に3個まで玉を貯留でき、止め打ちで貯留を生かすのが出玉を伸ばすコツだった。4年後の1995年には後継機『ブンブン丸DX』が登場する。
羽根モノ(2種)なので大当り確率という項目がない。賞球はオール10、9カウントで最高15ラウンド継続。羽根開放は0.5秒+0.5秒×2回。大当り中は大役物に最大3個を貯留し、V以外のポケットに5個入賞すると解除される。検定番号010664、1991年1月24日発売(3情報源)。※カウント数は資料が9個と10個で割れており、2対1で9個を採った。1995年の「ブンブン丸DX」は別機種。
▶
パチスロ ─ 3号機
2号機初代アラジンの集中役『アラジンチャンス』を受け継いだサミー初の3号機。単チェリーやリールのスベリでボーナス期待を伝える仕様が支持され、サミー名義でのシリーズ展開が本格化する転換点になった。
BIG確率 設定1で1/492〜設定6で1/300。
▶
パチスロ ─ 3号機
業界初とされるMAXBETボタンと、BIG中の期待値方式で平均約450枚の大量獲得を実現したと語られる3号機(初代)。当時の純増方式機は約360枚が相場で、4号機大量獲得機の源流とも言われる。動画側で埋め込みが制限されているため、サムネイルとリンクのみ。
BIG確率 設定1で1/324〜設定6で1/240、REG確率 設定1で1/426〜設定6で1/343、機械割 設定1で95.0%〜設定6で113.0%。
▶
パチスロ ─ 3号機
ゴルフモチーフの山佐3号機A-Cタイプ。3号機第1弾『スーパープラネット』に続く同社3号機期の一台。
BIG確率1/390(設定差なし)、REG確率1/390(設定差なし)。
▶
パチスロ ─ 3号機
エーアイの3号機A-Cタイプ。翌1992年の『グレートハンター』へ続くハンター系譜の一台。
BIG確率 設定1で1/431〜設定6で1/341、REG確率 設定1で1/431〜設定6で1/341。
▶
パチスロ ─ 3号機
前年『ドリームセブン』のJr仕様。ウインクル系高砂史を3号機期に細分化した一台(一覧により5月表記もあり)。
BIG確率 設定1で1/280〜設定6で1/232、REG確率 設定1で1/280〜設定6で1/232。
▶
パチスロ ─ 3号機
前年『ビッグベンハー』の後継で、ベンハー名義をマジカルに発展させた3号機Aタイプ。
BIG確率 設定1で1/321〜設定6で1/232、REG確率 設定1で1/303〜設定6で1/232。
▶
パチスロ ─ 3号機
『セブン』と『ボンバー』を組み合わせた爆発系ネーミングの3号機Aタイプ。バルテック(旧マックス商事系)の3号機期エントリ。
BIG確率 設定1で1/308〜設定6で1/228、REG確率 設定1で1/400〜設定6で1/228。
▶
パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」シリーズで実戦動画が公開されている一台。確変解禁直後の1991年春に並んだレギュラー。
羽根モノ(2種・貯留型)なので大当り確率という項目がない。賞球は6&13(3情報源一致)、10カウントで最高15ラウンド継続。羽根開放は0.4秒+0.4秒×2回。役物内のちゃぶ台に最大8個を貯留し、親父がちゃぶ台をひっくり返す(9カウント目または羽根15回開閉)と一気に解除される。検定番号110027。※発売月は資料により5月と6月で食い違う。
▶
パチンコ
SANKYO公式チャンネルでは、関連機種『サンダードラゴンGP』の実戦動画が「もう一度打ちたい!」シリーズで公開されている。
羽根モノ(2種・貯留型)なので大当り確率という項目がない。賞球は7&15、10カウントで最高15ラウンド継続。羽根開放は落とし0.3秒+センター0.5秒×2回。大当り中はドラゴンの手が閉じて最大8個を貯留し、9個目の入賞または羽根16回開閉で一気に解除(2情報源一致)。検定番号010603。※無印は存在せず、正式には「サンダードラゴンGP」(1991年2月・賞球7&15)と「EX」(同3月・賞球6&13)の2機種。上はGPの数値。大同の「サンダードラゴンD」は別機種。
▶
パチンコ ─ 権利物
1990年の風営法改正に対応したSANKYO第一弾の権利物で、当時新しく認められた確率変動機能を搭載していた。役物上部のデジタル時計風7セグ表示が3つ揃うと権利発生、右打ちでアタッカーを狙う仕様。
権利物(3種・確変搭載)。賞球は7&15、大当り確率1/180、確変中1/36(確変中の数値は1情報源のみ)。7セグデジタルで数字が3つ揃うと時計の針が玉を運んでV入賞し、2回権利が発生する。アタッカー開放は9.8秒×16回を2回ぶん。検定番号020748、1991年3月発売。※ラウンド数は資料により「アタッカー9.8秒×16回」と「最高継続15R」で表記が割れている。
SANKYOが手がけた確率変動(確変)機の初期モデルの一つとされる。「確変」という言葉がホールに浸透し始めた、その最初期を担った一台。
デジパチ(1種)で、確変は搭載していない。大当り確率1/225、賞球7&15、10カウントで最大16ラウンド。小デジタルに7が表示されると電動チューリップが1.8秒開放する。検定番号000658、1991年1月16日発売(1情報源のみ)。※日工組内規に沿った確変搭載の第1号は翌月の「フィーバーチャレンジII」(1991年2月・1/232・電チュー1/70→1/7)で、この機種ではない。
▶
パチンコ ─ 羽根モノ
羽根モノで、V入賞ゾーンはセンター役物のロボットの口の中にある。羽根開放後、ロボットの頭部が一瞬だけ開くタイミングを狙う独特な仕様で、『ロボくんI』『ロボくんGP』『ロボくんII』とシリーズ化された。
羽根モノ(2種・貯留装置なし)なので大当り確率という項目がない。賞球は7&15、10カウントで最高15ラウンド継続。羽根開放は落とし0.4秒+センター0.5秒×2回。ジャンプボードで跳ねた玉をロボットの口のVゾーンに入れる仕組み。検定番号010604、1991年1月16日発売(2情報源一致)。※兄弟機で賞球が違う。Ⅰが7&15、Ⅱが5&10、GPが7&13。上はⅠの数値。大同の同名機(1991年2月)は別物。
▶
パチンコ ─ 羽根モノ
巫女風の神様をかたどった役物が目印の貯留式羽根モノ。玉が入賞すると神様が目を閉じて手を合わせ、腕がわずかに上下して玉の動きを変える演出が特徴。
羽根モノ(2種・貯留型)なので大当り確率という項目がない。賞球はオール13、10カウントで最高15ラウンド継続。羽根開放は0.35秒+0.35秒×2回(2情報源一致)。大当り中は明神様の手が上がったまま止まって最大4個を貯留し、ハズレ5カウント後に解除される。検定番号010659、1991年4月発売。当時としては珍しい賞球オール13の羽根モノという位置づけ。
▶
パチンコ ─ 権利物
三洋物産が手がけた権利物のひとつ。この当時はまだCR機は存在せず(CR機の登場は1992年8月)、現金機の権利物として登場した一台。
権利物(3種・確変搭載)。賞球は7&15、大当り確率1/220、確変中1/22(2情報源一致)。センターチャッカー通過で3ケタデジタルが回り、数字が揃うと下の電動チューリップが約6秒(4カウント)開放、拾った玉がVゾーンに入って権利が発生する。2回権利で、アタッカー開放は9.5秒×16回を2回ぶん。権利1回あたり約2,200発、総出玉およそ4,200発。検定番号120157、1991年6月発売。権利物に初めて回転体を採用した機種とされる。
▶
パチンコ ─ デジパチ
まさむら遊機のドットデジパチ(1991年)。大当り確率約1/225、賞球7&15のノーマル機で、羽根物のようなアタッカーと右出目の移行法則が特徴。連チャン性は無く、アタッカーのV入賞が渋い台ではパンクしやすいと実戦解説で語られる。
大当り確率 約1/225、賞球 7&15。
▶
パチンコ ─ 権利物
1991年4月1日に平和が発表した権利物(3種)。役物とデジタルを組み合わせた2回権利モノで、盤面デザインを変えたバージョンも出るなど人気を博した。のちの『NEWバレリーナ』『ゴールデンバレリーナ』『CRバレリーナ』へと続くシリーズ初代。
検定番号020760。デジタル確率は1/5→1/1、アタッカーは9.7秒×16回の開放を2回繰り返す。賞球は7&15のW賞球。1993年11月の『ゴールデンバレリーナ』へと続くシリーズの初代にあたる。※以前ここに書いていた「1991年10月頃」は誤りで、正しくは1991年4月1日。「1回の権利で約2000〜2200個前後の出玉」も裏が取れなかったため取り下げた。
▶
パチンコ ─ 普通機
SANKYOオンライン博物館に1991年機として掲載される普通機(平台)。クルーンとチューリップを組み合わせたオールパワー系で、翌1992年の後継『トリプルパワーII』(賞球ALL10)へと続く。実機・セル盤の大当り動画がレトロ愛好家により残されている。
SANKYOのオンライン博物館に1991年機として名前が残るものの、賞球・役物・盤面構成を伝える資料は見つからなかった。SANKYO公式の機種年表はWayback Machine に1966〜89年分しか保存されておらず、1990年代の年表そのものが取得できないのが原因。パチンコビレッジにも収録が無い。※確実に分かるのは後継機のほうで、『トリプルパワーII』は1992年4月発表の普通機・賞球オール10(検定番号130659)、3つ穴クルーンと2回開きチューリップ3個を備え、左(右)穴なら左(右)の袖チューリップが、手前穴なら5個のチューリップが全開放する構成だった。IIの仕様をこの初代のものとして読まないこと。
サムネイルはYouTube公式・アーカイブチャンネルが提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。資料の薄いSANKYO機・沖縄向け3号機は探したうえで個別動画を見つけられませんでした。
ほか335機種(パチンコ325・パチスロ10)。 1991年の355機種を年表で見る →
1991年の冬は、テレビドラマが街の空気そのものを作っていた。1月にスタートしたフジテレビ 「東京ラブストーリー」と「101回目のプロポーズ」が相次いで話題を呼び、最高視聴率36.7%を 記録する。それぞれの主題歌だった小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」とCHAGE&ASKA 「SAY YES」は、そのままこの年のオリコン年間シングルチャートの1位・2位に並んだ。 ドラマの主題歌がヒットチャートの頂点を占める、この年ならではの構図だった。街のファッションは 紺ブレザーにきれいめカジュアルを合わせる「キレカジ」が主流になりつつあり、一方で 超ミニスカートや60年代リバイバルのベルボトム・厚底靴も混在する、過渡期らしい雑多さがあった。
少年誌の棚では、前年10月に連載が始まったばかりの井上雄彦『SLAM DUNK』が読者を掴みはじめ、 鳥山明『ドラゴンボール』はまだ悟空たちの物語を続けていた。街を歩けば、ドラマ主題歌だけでなく ユーロビートも聞こえてくるようになっていた頃で、このジャンルが数年後の若者文化の主役に 躍り出る、その助走が始まっていた年でもある。6月3日には雲仙普賢岳で大火砕流が起き、 報道ヘリや取材陣を巻き込んだ惨事がテレビに流れ続けた——ジュリアナの熱狂と、災害の衝撃が 同じ年の画面に同居していた。
その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。
【懐かしいテレビCM集】1991年 Part1 ── 当時実際に放送されていたテレビCMをまとめたアーカイブ映像。商品・タレント・時代の空気感がそのまま残っている。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
5月15日、港区芝浦に一軒のディスコが開業する。ジュリアナ東京だ。高さ約130cmの 「お立ち台」で、羽根つきの扇子――通称「ジュリ扇」――を振りながらボディコン姿の女性たちが ユーロビートに合わせて踊る光景は、のちに幾度もテレビで再生される「バブルの象徴」になった。 1994年8月31日の閉店時には、無料開放された店に約4000人が詰めかけ、入場待ちの列は田町駅まで 続いたという。
けれどこの熱狂は、すでに終わりかけていた宴の残り火でもあった。株価は前年からすでに下落を 続けており、地価もやがて頭打ちになっていく。4月にはNTTから携帯電話「mova」の第一号機が 発売され、従来の自動車電話や肩掛け型電話に比べて圧倒的に小型軽量な「超小型携帯電話」として 話題になった――好景気の余韻が街を満たす中で、次の時代の道具が静かに姿を見せ始めていた 年でもあった。
ジュリアナ東京 ゴージャスな社交場 1991年 ── 開業当時のジュリアナ東京を伝えるアーカイブ映像。お立ち台とジュリ扇の熱狂が記録されている。
バブル景気の余韻残る平成初期【映像で振り返る平成①元年から4年】 ── 福井テレビの公式チャンネルが振り返る、平成元年〜4年(1989〜1992年)のニュース映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
この年、あなたはどこで何をしていましたか。