特集 ─ 平成3年

1991

好景気の最後の輝きと、
静かな終わりが同時に来た年。

1月、フジテレビ系の「東京ラブストーリー」と「101回目のプロポーズ」が相次いで話題を呼び、 最高視聴率は36.7%を記録した。それぞれの主題歌、小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」と CHAGE&ASKA「SAY YES」は、そのままこの年のオリコン年間シングルチャートの1位と2位に並んでいる。 5月15日には港区芝浦にディスコ「ジュリアナ東京」が開業し、お立ち台で扇子を振る若者たちの姿が 連日メディアを賑わせた――けれどその熱狂の裏で、株価はすでに下落を続けていた。 バブル景気、最後の輝きの年。世の中では1月に湾岸戦争が始まり、6月には雲仙普賢岳で 大火砕流が起き、年末にはソ連が崩壊する。ホールでは、この年、記録に残っているだけで 26機種のパチンコ・パチスロが登場した。

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第一章

確率変動と、まだ見ぬCR機のあいだで

1991年のホールは、まだ「CR機」を知らない。プリペイドカードを使うCR機の登場は翌1992年8月、 三洋物産『CRフラワーショップ』を待たなければならない。この年打たれていたのは、現金を直接 投入する現金機と、羽根モノ・権利物と呼ばれる仕組みが主役だった。

それでも、確実に次の時代への種は蒔かれていた。前年1990年末の風営法改正でようやく正式に 認められた「確率変動」機能を積んだ、SANKYOの『フィーバーチャレンジ』『タイムショックI』 のような一台が、この年すでに登場している。「確変」という言葉が業界用語からホールの日常語に なっていく、その最初期である。

パチンコでは、平和の『麻雀物語』が、業界で初めてフルカラー液晶を搭載した。それまで ドット表示やモノクロ液晶が当たり前だった盤面に、鮮やかな色彩の演出が現れる――以後のデジパチの 表示装置が進む方向を、この一台が決定づけた。パチスロでは、尚球社の『ミラクル』が、 それまで約360枚が相場だった獲得枚数を約450枚まで押し上げる。パチスロ史上初とされる 「大量獲得」機であり、ここで確立された仕組みは、のちに大ヒットする『リノ』の 「ネオストック」システムの土台になったといわれている。

CR機はまだ影も形もなかった。それでも、確率変動という新しい仕組みと、大量獲得という 新しい快感が、この年すでにホールに芽吹いていた。
第二章

ホールの中で、世の中で

🎰 ホールの中
🗾 世の中
1月
フィーバーチャレンジ、ロボくん(SANKYO)
17日、湾岸戦争開戦/フジテレビ系「東京ラブストーリー」放送開始
2月
サンダードラゴン、マッドボーイ(SANKYO)
3月
タイムショックI(SANKYO)
6日、ASKA「はじまりはいつも雨」発売/27日、B'z「LADY NAVIGATION」発売
4月
大明神 GP II(SANKYO)
NTTが携帯電話「mova」発売/25日、DREAMS COME TRUE「Eyes to me」発売
5月
ガンコおやじII(SANKYO)――SANKYO公式チャンネルで実戦動画が見られる一台
15日、ディスコ「ジュリアナ東京」が芝浦に開業
6月
ファルコン(SANKYO)
3日、雲仙普賢岳で大火砕流
7月
メドレーI、ビッグポーカーIII(SANKYO)
9月
フィーバースパーク、フィーバークリスタル、名人会、悟空、スーパーゴールドI、ポンキッド GP II(SANKYO)
10月
スパークマンIII(SANKYO)
長渕剛「しゃぼん玉」発売/30日、B'z「ALONE」発売
11月
デジタルキングI(SANKYO)
12月
25日、ソ連崩壊(ゴルバチョフ大統領辞任)
通年
フルーツパンチ、麻雀物語、アラジン2、ブンブン丸10、ミラクル ほか計26機種
流行語大賞は「…じゃあ〜ありませんか」。ドラマ「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」(36.7%)
第三章

この年の音 ── 1991年 年間シングルTOP10

ラブ・ストーリーは突然に のサムネイル

ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正 ── 年間1位・254.2万枚。ドラマ「東京ラブストーリー」主題歌。

SAY YES のサムネイル

SAY YES / CHAGE&ASKA ── 年間2位・250.4万枚。ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌。オリコン週間13週連続1位。

愛は勝つ のサムネイル

愛は勝つ / KAN ── 年間3位・186.3万枚。1990年9月発売だが1991年に大ヒットし、日本レコード大賞を受賞。

どんなときも。 のサムネイル

どんなときも。 / 槇原敬之 ── 年間4位・116.4万枚。槇原敬之3rdシングル、1991年を代表するミリオンヒット。

はじまりはいつも雨 のサムネイル

はじまりはいつも雨 / ASKA ── 年間5位・107.1万枚。1991年3月6日発売、ASKAソロ名義のシングル。

あなたに会えてよかった のサムネイル

あなたに会えてよかった / 小泉今日子 ── 年間6位・100.7万枚。1991年5月発売。作詞:小泉今日子、作曲:小林武史。

LADY NAVIGATION のサムネイル

LADY NAVIGATION / B'z ── 年間7位・100.5万枚。B'z 8thシングル、1991年3月27日発売。

しゃぼん玉 のサムネイル

しゃぼん玉 / 長渕剛 ── 年間8位・75.9万枚。フジテレビ系ドラマ「しゃぼん玉」主題歌。1991年10月発売、24thシングル。

Eyes to me のサムネイル

Eyes to me / DREAMS COME TRUE ── 年間9位・68.6万枚。1991年4月25日発売、9thシングル。ドリカム初のオリコン週間1位。

ALONE のサムネイル

ALONE / B'z ── 年間10位・68.6万枚。B'z 9thシングル、1991年10月30日発売。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。

第四章

この年の台

実機の写真は使えないため、当時の実戦動画・解説動画への入口として、YouTube公式・アーカイブチャンネルのサムネイルを表示しています(対応する動画があるものだけ)。

フルーツパンチの動画 パチンコ ─ 一般電役

フルーツパンチ年 要確認

大一商会

保留玉での連チャンが持ち味で、大量出玉と連荘性を両立させた名機として今も語られる。日工組の年表では登場を1990年とする資料もあり、年については要確認。

麻雀物語の動画 パチンコ ─ デジパチ

麻雀物語

平和

業界で初めてフルカラー液晶を搭載したデジパチ。ドット表示やモノクロ液晶が主流だった当時、その色彩表現は衝撃的で、以後のデジパチの表示装置の方向性を決定づけた一台。

ブンブン丸10の動画 パチンコ ─ 羽根モノ

ブンブン丸10

平和

平和の羽根モノ「ブンブン丸」シリーズの初代機。15R10C。大当り中は大役物に3個まで玉を貯留でき、止め打ちで貯留を生かすのが出玉を伸ばすコツだった。4年後の1995年には後継機『ブンブン丸DX』が登場する。

アラジン2の動画 パチスロ ─ 3号機

アラジン2

サミー工業

人気を博した2号機『アラジン』の後継となる3号機。専用ボーナス「アラジンチャンス」の突入率を高め、大きなリール滑りでボーナス当選を分かりやすく告知した。のちの『アラジンマスター』などシリーズ人気の礎になった一台。

ミラクルの動画 パチスロ ─ 3号機

ミラクル

尚球社

パチスロ史上初とされる大量獲得機。従来機が約360枚だった獲得枚数を約450枚まで伸ばし、1・2・3BETを個別ボタンにするなど操作性も刷新した。ここで確立された仕組みは、のちにヒットする『リノ』の「ネオストック」システムの土台になったといわれる。

ガンコおやじIIの動画 パチンコ

ガンコおやじII

SANKYO(5月)

SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」シリーズで実戦動画が公開されている一台。

サンダードラゴンの動画 パチンコ

サンダードラゴン

SANKYO(2月)

SANKYO公式チャンネルでは、関連機種『サンダードラゴンGP』の実戦動画が「もう一度打ちたい!」シリーズで公開されている。

パチンコ ─ 権利物

タイムショックI

SANKYO(3月)

1990年の風営法改正に対応したSANKYO第一弾の権利物で、当時新しく認められた確率変動機能を搭載していた。役物上部のデジタル時計風7セグ表示が3つ揃うと権利発生、右打ちでアタッカーを狙う仕様。

パチンコ ─ 確変機

フィーバーチャレンジ

SANKYO(1月)

SANKYOが手がけた確率変動(確変)機の初期モデルの一つとされる。「確変」という言葉がホールに浸透し始めた、その最初期を担った一台。

パチンコ ─ 羽根モノ

ロボくん

SANKYO(1月)

羽根モノで、V入賞ゾーンはセンター役物のロボットの口の中にある。羽根開放後、ロボットの頭部が一瞬だけ開くタイミングを狙う独特な仕様で、『ロボくんI』『ロボくんGP』『ロボくんII』とシリーズ化された。

パチンコ ─ 羽根モノ

大明神 GP II

SANKYO(4月)

巫女風の神様をかたどった役物が目印の貯留式羽根モノ。玉が入賞すると神様が目を閉じて手を合わせ、腕がわずかに上下して玉の動きを変える演出が特徴。

パチンコ ─ 権利物

ニューヨーク

三洋物産

三洋物産が手がけた権利物のひとつ。この当時はまだCR機は存在せず(CR機の登場は1992年8月)、現金機の権利物として登場した一台。

パチンコ

サバンナ

まさむら

詳しい記録は乏しいが、この年の空気を伝える一台。

パチンコ

バレリーナ

平和

詳しい記録は乏しいが、この年の空気を伝える一台。

パチンコ

トリプルパワー

SANKYO

詳しい記録は乏しいが、この年の空気を伝える一台。

サムネイルはYouTube公式・アーカイブチャンネルが提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。

ほか12機種。 1991年の全機種を年表で見る →

第五章

あの頃の空気 ── ドラマとキレカジ、そして助走のユーロビート

1991年の冬は、テレビドラマが街の空気そのものを作っていた。1月にスタートしたフジテレビ 「東京ラブストーリー」と「101回目のプロポーズ」が相次いで話題を呼び、最高視聴率36.7%を 記録する。それぞれの主題歌だった小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」とCHAGE&ASKA 「SAY YES」は、そのままこの年のオリコン年間シングルチャートの1位・2位に並んだ。 ドラマの主題歌がヒットチャートの頂点を占める、この年ならではの構図だった。街のファッションは 紺ブレザーにきれいめカジュアルを合わせる「キレカジ」が主流になりつつあり、一方で 超ミニスカートや60年代リバイバルのベルボトム・厚底靴も混在する、過渡期らしい雑多さがあった。

少年誌の棚では、前年10月に連載が始まったばかりの井上雄彦『SLAM DUNK』が読者を掴みはじめ、 鳥山明『ドラゴンボール』はまだ悟空たちの物語を続けていた。街を歩けば、ドラマ主題歌だけでなく ユーロビートも聞こえてくるようになっていた頃で、このジャンルが数年後の若者文化の主役に 躍り出る、その助走が始まっていた年でもある。

懐かしいテレビCM集 1991年 のサムネイル

【懐かしいテレビCM集】1991年 Part1 ── 当時実際に放送されていたテレビCMをまとめたアーカイブ映像。商品・タレント・時代の空気感がそのまま残っている。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。

第六章

バブル、最後の輝きと終わりの始まり

5月15日、港区芝浦に一軒のディスコが開業する。ジュリアナ東京だ。高さ約130cmの 「お立ち台」で、羽根つきの扇子――通称「ジュリ扇」――を振りながらボディコン姿の女性たちが ユーロビートに合わせて踊る光景は、のちに幾度もテレビで再生される「バブルの象徴」になった。 1994年8月31日の閉店時には、無料開放された店に約4000人が詰めかけ、入場待ちの列は田町駅まで 続いたという。

けれどこの熱狂は、すでに終わりかけていた宴の残り火でもあった。株価は前年からすでに下落を 続けており、地価もやがて頭打ちになっていく。4月にはNTTから携帯電話「mova」の第一号機が 発売され、従来の自動車電話や肩掛け型電話に比べて圧倒的に小型軽量な「超小型携帯電話」として 話題になった――好景気の余韻が街を満たす中で、次の時代の道具が静かに姿を見せ始めていた 年でもあった。

ジュリアナ東京 1991年 のサムネイル

ジュリアナ東京 ゴージャスな社交場 1991年 ── 開業当時のジュリアナ東京を伝えるアーカイブ映像。お立ち台とジュリ扇の熱狂が記録されている。

バブル景気の余韻残る平成初期 のサムネイル

バブル景気の余韻残る平成初期【映像で振り返る平成①元年から4年】 ── 福井テレビの公式チャンネルが振り返る、平成元年〜4年(1989〜1992年)のニュース映像。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。

第七章

数字で見る1991

254.2万枚「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)の売上枚数。1991年最大のヒット
1991年5月15日ディスコ「ジュリアナ東京」が芝浦に開業。お立ち台とジュリ扇の熱狂が始まる
約450枚パチスロ『ミラクル』(尚球社)の獲得枚数。当時としては破格の“大量獲得”だった
27機種この年に記録として残っているパチンコ・パチスロの数
4円貸玉料金。1979年から据え置き、この後も長く変わらない
36.7%「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」の最高視聴率
1991年1月17日湾岸戦争が開戦
1991年6月3日雲仙普賢岳で大火砕流
1991年12月25日ソ連崩壊。ゴルバチョフ大統領が辞任
第八章

あなたの1991年

この年、あなたはどこで何をしていましたか。

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