マッハシュート
西陣西陣の羽根モノ。詳しい仕様の記録は乏しいが、1989年に登場した一台として記録が残る。
特集 ─ 昭和64年/平成元年
1989
1月7日午前6時33分、昭和天皇が87歳で崩御。62年と14日続いた昭和が終わり、 その日のうちに新しい元号「平成」が発表された。4月1日には消費税3%が導入され、 12月29日には日経平均株価が38,957円44銭という史上最高値をつける—— のちに誰もが「バブルの頂点」と呼ぶことになる年だった。ホールでは、 まだCR機もジャグラーも海物語も存在しない。羽根モノと権利物が主役の時代で、 この年だけで記録に残る24機種が登場している。街には『Diamonds』 (プリンセス・プリンセス)が流れ、任天堂の携帯ゲーム機『ゲームボーイ』が、 まさにこの曲と同じ4月21日に発売された。
← 思い出年表にもどる1989年のホールには、まだCR(カード式)機は存在しない。CR機の登場は1992年、 確率変動の一般化はさらにその先の話になる。この年の主役は羽根モノと権利物—— 役物の中で玉を拾う・貯留するといった機械的なギミックが遊技の中心だった時代である。 記録に残っているだけで24機種、そのほとんどをSANKYOの製品が占めている。
1月にはSANKYOの『オールスター』『ハッピーバードI』が登場。3月には、 役物の上段にマジシャンの上半身、下段に下半身を配置し、その間をVゾーンにするという 凝った構造の『マジシャンI』が登場した。6月には羽根モノの人気機 『マジックカーペットI』、11月には同じく羽根モノの『ウォーリアーII』が 登場するなど、年間を通じてコンスタントに新台が投入され続けている。
一方、パチスロについては、この年のものとして記録に残っているデータは見当たらない。 1985年の1号機制度、1988年のコナミ『ウインクル』による2号機の確立を経て、 パチスロが再び大きく動き出すのは、翌1990年代に入ってからのことになる。
Diamonds / プリンセス プリンセス ── 年間1位・109.7万枚(ミリオンセラー)。1989年4月21日発売、7thシングル。ガールズバンド初のミリオンセラーで、プリプリ唯一のミリオンセラー曲。同じ4月21日に任天堂『ゲームボーイ』も発売されている。
世界でいちばん熱い夏 / プリンセス プリンセス ── 年間2位・86.5万枚。1987年発売曲の「平成版」として1989年7月1日に再発売され大ヒット。Diamondsと年間1・2位を独占した。
とんぼ / 長渕剛 ── 年間3位・103.5万枚(ミリオンセラー)。1988年10月発売、自身が主演したTBSドラマ『とんぼ』主題歌。1983年『矢切の渡し』以来5年ぶりのシングル・ミリオンセラーとなった。動画は『THE FIRST TAKE』での一発録りパフォーマンス。
愛が止まらない〜Turn It Into Love〜 / Wink ── 年間5位・62.95万枚(1989年年間)。1988年11月16日発売。カイリー・ミノーグ『Turn It Into Love』のカバーで、フジテレビ系ドラマ『追いかけたいの!』主題歌。1989年2月にオリコン週間1位を獲得した。
淋しい熱帯魚 / Wink ── 年間7位・54.9万枚。1989年7月5日発売。パナソニックのヘッドホンステレオのCMで使われていた楽曲がシングル化され、オリコン週間1位を2週連続で記録した。
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西陣の羽根モノ。詳しい仕様の記録は乏しいが、1989年に登場した一台として記録が残る。
東京タワーがモチーフの羽根モノ。大当り時は9玉貯留で、出玉の多さが人気を呼んだ。資料により1990年発売とするものもある。
詳しい仕様の記録は乏しいが、1989年1月に登場した一台として記録が残る。
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パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」では、後継機にあたる『オールスターII』(1989年)の実戦動画が公開されている。
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パチンコ ─ 権利物
上下2段に分かれた役物の中に、上段にマジシャンの上半身、下段に下半身が配置され、その間の中央部分がVゾーンになっている凝った構造の一台。SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」で実戦動画が公開されている。
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パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」では、後継機にあたる『フィーバークラウン DX』(1989年)の実戦動画が公開されている。
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パチンコ ─ 羽根モノ
羽根モノの人気機。SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」で実戦動画が公開されている。
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パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」では、同年の関連機『パチンコ・フィーバーレクサスⅦ』の実戦動画が公開されている。
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パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」で実戦動画が公開されている一台。
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パチンコ
SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」で実戦動画が公開されている一台。
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パチンコ ─ デジパチ
恐竜モチーフのデジパチ。SANKYO公式チャンネル「もう一度打ちたい!」で実戦動画が公開されている。
詳しい仕様の記録は乏しいが、1989年10月に登場した一台として記録が残る。
羽根モノの人気機。
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ほか11機種。 1989年の全機種を年表で見る →
4月21日、任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」を12,500円で発売した。奇しくも プリンセス・プリンセス『Diamonds』の発売と同じ日だった。カラー液晶を積んだライバル機も あるなか、任天堂は電池の持ちと価格を優先してあえてモノクロ液晶を選択。ローンチタイトルは 『スーパーマリオランド』『アレイウェイ』『ベースボール』『役満』の4本で、2か月後の6月には 『テトリス』が加わり、社会現象的な大ヒットへとつながっていく。
街のファッションでは、この年の春、大阪で「イケイケファッション」と呼ばれる 蛍光色のボディコンシャス・スタイルが流行しはじめた。このブームが東京へ本格的に広がり、 ワンレングス・ボディコンの女性たちがディスコに集まるようになるのは、この1〜2年後のことになる。
本屋の棚では、『週刊少年ジャンプ』が1988年末〜1989年始めの合併号で発行部数500万部を突破。 『ジョジョの奇妙な冒険』『ろくでなしBLUES』が連載中の誌面に、この年から新たに 『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』と『電影少女』の連載が始まっている。 ジャンプの発行部数は、この後1990年代半ばの黄金期に向けてさらに伸びていく。
【懐かしいテレビCM集】1989年 ── その年に流れていたCMをまとめたアーカイブ映像。当時の商品・ファッション・空気感がそのまま残っている。
ゲームボーイ CM集 1989〜1990年 ── 発売当初に実際に流れていたテレビCMをまとめた映像。
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1988年9月19日、昭和天皇が吐血して重篤な容体になったというニュースが流れると、 全国で「自粛」ムードが一気に広がった。秋祭りの花火が取りやめになったり、 テレビCMや歌番組の内容が控えめなものに差し替えられたりする——そんな空気のまま、 年が明けた。
そして1989年1月7日午前6時33分、昭和天皇が87歳で崩御。62年と14日続いた 昭和という時代が終わった。同じ日の午後、小渕恵三官房長官(当時)が記者会見で 「新しい元号は平成であります」と墨書きの額を掲げ、日本中がテレビの前で この瞬間を見守った。皇太子明仁親王がただちに新天皇として即位し、翌1月8日から 平成元年が始まった。
2月24日には新宿御苑で『大喪の礼』が営まれ、世界中から要人が参列した。4月1日には 消費税3%が施行され、戦後日本で初めての一般消費税が始まる。それでも景気そのものは 膨張を続け、この年の大納会(12月29日)で日経平均株価は38,957円44銭という 史上最高値を記録する。昭和の終わりと入れ替わるように、バブル景気はこの年、 その頂点に達しようとしていた。
「新しい元号は平成であります」 日本中がテレビで見守った 小渕官房長官(当時)の会見 ── TBS NEWS DIGアーカイブより、新元号発表の瞬間を伝える実際の会見映像。
1989年 懐かしいCM 昭和64年 元日 ── 昭和最後の週、まだ「昭和64年」だった正月にオンエアされていたCM映像のアーカイブ。
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