特集 ─ 昭和56年

1981

フィーバーが規制され、
羽根モノが生まれた年。

前年に産声を上げた三共の『フィーバー』は、この年、全国のホールを飲み込む狂乱になっていた。 だが6月10日、警察庁は超特電機(初期デジパチ)への通達を出し、業界側の自主規制とあわせて当時 「二憲法」と呼ばれた枠組みが走る。デジパチ黎明の「あと始末」が始まった一年である。 その一方で平和は『ゼロタイガー』を送り出し、羽根モノというジャンルそのものを作り上げた── のちに約25万台を売る大ヒットとなる一台だった。名簿上、この年の機種は パチンコ45・パチスロ32の計77機種(うち0号機スロットの多くは導入年に幅があり要確認)。 街ではポートピア'81となめ猫ブーム、『Dr.スランプ アラレちゃん』が視聴率36.9%を記録し、 寺尾聰『ルビーの指環』が年間チャート1位に輝いた昭和56年。ホールの中も外も、熱狂と規制が同居していた。

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第一章

フィーバー規制の年 ── デジパチ黎明のあと始末

1980年7月に発売された三共の『フィーバー』は、その年のうちはまだ静かだった。 潮目が変わったのは同年12月21日、新潟県長岡市のパチンコ店『白鳥』が一夜で123台を 一気に設置したときだ。立ち見が出るほどの客が殺到し、ここから全国のホールへ 一気に広がっていく。1981年に入る頃には、フィーバー機は全国のホールを飲み込む 社会現象になっていた。1台あたりの1日の売上が数千円から数万円に跳ね上がる店も現れ、 フィーバー人気を追い風にホールの数自体も年400〜500軒ずつ増え続けていった。

だが熱狂には、影もあった。大当たりの興奮のあまり心臓発作を起こす客、出玉欲しさに 借金を重ねる客、事件を起こす客までが相次ぎ、パチンコは連日ニュースをにぎわす存在に なっていく。事態を重く見た警察庁は、1981年6月10日、「善良な風俗を害する恐れがある」として 超特電機のスペック通達を出す。大当りの繰り返しは最高10ラウンドまで、保留玉は4個まで、 始動チャッカーは全入賞口の3分の1まで(スルー禁止)、現行タイプは9月30日までに撤去── といった内容だった。これに先立つ5月27日、全遊協側も誇大宣伝の自粛や超特電を総台数の30%まで とする自主規制を決めており、警察庁通達と業界自主規制のセットは当時メディアで 「二憲法」と呼ばれた。デジパチという新しい基本形が、生まれてすぐに枠をはめられた瞬間である。

その一方で、静かに新しいジャンルが生まれてもいた。平和の『ゼロタイガー』である。 電役機『ゼロ戦』とほぼ同じ飛行機の役物を盤面中央に構え、羽根に拾われた玉がVゾーンに 入ると大当りになる仕組みは、のちに「羽根モノ」と呼ばれる一大ジャンルの元祖になった。 発売当初は1ラウンドの入賞数に制限がなく15〜20個も入ることがあったため、のちに 10個入賞で強制終了する、通称「パンク」規制が導入されている。それでもゼロタイガーは 約25万台を売る大ヒットとなり、羽根モノという業態そのものを作り上げた一台になった。 SANKYOも同年、『ギャラクシーダイバー』『タイムトンネル』『ボクシング』『センターチューリップ』を ラインに並べ、羽根モノ/特電機の初期群を厚くしている。

パチスロ側では、まだ1号機制度(1985年)以前の0号機が各社バラバラの規格で並んでいた。 北電子は12月に『モンスターパート2』を公式アーカイブ上の確定機として送り出し、 ユニバーサルのアメリカーナ系・動物名シリーズ、尚球社のパルサーナイト、興進のデートライン系など、 slothistory名簿に残る箱型機が一気に増える。ただしその多くは「1981〜1984」という年幅付きで、 正確な発売月が取れない台も多い──数字化の熱狂とは別の、記録が薄い黎明期でもあった。

フィーバーが狂騒を生み、6月の通達で枠がはめられ、
その裏でゼロタイガーが新しいジャンルを静かに立ち上げていた。それが1981年だった。
第二章

ホールの中で、世の中で

🎰 ホールの中
🗾 世の中
3月
─
20日、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開幕〜9月15日。入場者約1,610万人
4月
フィーバータイプ機の特別検定が話題に(業界誌)。ゼロタイガー/SANKYO初期羽根モノ群がこの前後に広がる
8日、アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』放送開始(フジテレビ系)。関東地区平均視聴率22.7%の人気番組に
5月
27日、全遊協が超特電の自主規制(設置比率30%など)を決定
16日、『オレたちひょうきん族』パイロット放送開始(10月10日よりレギュラー化)
6月
10日、警察庁が超特電機のスペック通達(10R上限・保留4個など)。通称「二憲法」の一方
21日、松任谷由実「守ってあげたい」発売
9月
警察庁通達に基づく現行超特電タイプの撤去期限(9月30日)
15日、ポートピア'81閉幕
10月
─
10日、『オレたちひょうきん族』レギュラー放送開始
11月
─
21日、なめ猫のシングル「なめんなよ」発売(オリコン週間5位)/同日、松山千春「長い夜」発売
12月
北電子『モンスターパート2』(0号機・公式アーカイブで月日確定)
16日、『Dr.スランプ アラレちゃん』が最高視聴率36.9%を記録(関東)
通年
平和『ゼロタイガー』/SANKYO『ギャラクシーダイバー』『ボクシング』『タイムトンネル』『センターチューリップ』+0号機スロット多数。名簿上計77機種(パチンコ45・パチスロ32)
フィーバー機の狂乱と規制/なめ猫グッズが社会現象化(ポスター600万枚・ブロマイド1200万枚)/寺尾聰「ルビーの指環」が年間シングル1位(132.6万枚)
第三章

この年の音 ── 1981年のヒット曲/オリコン年間シングルランキングTOP10

ルビーの指環 のサムネイル

ルビーの指環 / 寺尾聰 ── 年間1位・132.6万枚。『ザ・ベストテン』で12週連続1位を記録した、1981年を象徴する1曲。

奥飛騨慕情 のサムネイル

奥飛騨慕情 / 竜鉄也 ── 年間2位・128.0万枚。盲目の演歌歌手・竜鉄也が歌う、岐阜・奥飛騨温泉郷のご当地ソング。動画はVAP公式チャンネルより。

スニーカーぶる~す のサムネイル

スニーカーぶる~す / 近藤真彦 ── 年間3位・104.7万枚。近藤真彦のデビュー曲で、映画『スニーカーぶる~す』の主題歌。

ハイスクールララバイ のサムネイル

ハイスクールララバイ / イモ欽トリオ ── 年間4位・95.9万枚。萩本欽一の番組から生まれたトリオの1曲。作詞・松本隆、作編曲・細野晴臣。

長い夜 のサムネイル

長い夜 / 松山千春 ── 年間5位・86.6万枚。11月21日発売。

大阪しぐれ のサムネイル

大阪しぐれ / 都はるみ ── 年間6位・86.2万枚。日本レコード大賞・最優秀歌唱賞と日本作詩大賞を受賞。

街角トワイライト のサムネイル

街角トワイライト / シャネルズ ── 年間7位・71.7万枚。のちのラッツ&スターの前身、シャネルズの楽曲。

恋人よ のサムネイル

恋人よ / 五輪真弓 ── 年間8位・70.2万枚。前年発売のロングセラーが、この年もチャート上位に残った。動画はソニーミュージック公式のリリックビデオ。

チェリーブラッサム のサムネイル

チェリーブラッサム / 松田聖子 ── 年間9位・67.4万枚。1月21日発売、聖子の4thシングル。

守ってあげたい のサムネイル

守ってあげたい / 松任谷由実 ── 年間10位・67.4万枚。6月21日発売。動画は松任谷由実本人の公式チャンネルより。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます(実在を確認済み)。再生できない場合は動画側の設定によるものです。順位・枚数はオリコン1981年年間シングルに基づく。

第四章

この年の台

名簿上の1981年機種は計77機種(パチンコ45・パチスロ32)。パチンコは羽根モノ黎明の主力を個別カードに、 パチスロは公式で月日が取れる北電子『モンスターパート2』と、0号機箱型ダンプのうち系譜が追える台を主役に並べた。 0号機スロットの多くは導入年が「1981〜1984」幅のため年 要確認付き。実機写真は使えないため、 見つかった実戦・解説動画への入口としてYouTubeサムネイルを表示している(無いものは探したうえで無し)。

ゼロタイガーの動画 ▶ パチンコ ─ 羽根モノ

ゼロタイガー

平和

羽根モノというジャンルを作った元祖。電役機『ゼロ戦』とほぼ同じ飛行機役物を盤面中央に搭載し、羽根に拾われた玉がVゾーンに入ると大当り。当初は1ラウンドの入賞数に制限がなく15〜20個入ることもあったため、のちに1ラウンドで10個入賞すると強制終了する、通称「パンク」規制が入った。約25万台を売る大ヒットとなり、羽根モノという業態そのものを生んだ一台。

調べたこと

羽根モノなので大当り確率の表示はない。賞球13、継続は最高8ラウンド。羽根が18回開閉する間に玉が再びVゾーンへ入れば次のラウンドへ進み、当初は1ラウンドの入賞数に上限が無く15〜20個入ることもあった(のちに10個でパンクする規制が入る)。

ギャラクシーダイバーの動画 ▶ パチンコ ─ 羽根モノ

ギャラクシーダイバー

SANKYO

SANKYOオンライン博物館に1981年機として掲載される、三共側の初期羽根モノ。飛行機(ヒコーキ)タイプの役物を盤面中央に備え、羽根に拾われた玉でV入賞を狙う。レトロ解説では「三共初の羽根物」として取り上げられることが多く、平和『ゼロタイガー』と同時代に広がった羽根モノブームの一端を担った。1号〜3号など盤面バリエーションの実機動画が残る。

調べたこと

賞球オール13の羽根モノ(超特電機)。チャッカー入賞で羽根が1回、下段入賞で2回開き、その間にV入賞すると羽根が18回開放、開放中のV入賞で最大8回まで継続する。8ラウンド目の18回目でV入賞すると「リターン」で1回目から再スタートするのは平和『ゼロタイガー』譲りで、この頃はまだ10カウント制限が無い。羽根が厚めに作られていて個体差のムラが大きく、役物の癖を掴んだ常連やプロに好まれた台でもあった。※1号から8号まであり、ゲージ構成が号数でまったく違う。ここに書いたのは1号のもの。

ボクシングの動画 ▶ パチンコ ─ 特電機

ボクシング

SANKYO

SANKYOオンライン博物館に1981年機として掲載される特電機(電役)系の普通機。盤面中央のボクサー役物が開閉し、左右パンク穴を持つタイプとして知られる。京楽など他社の同系統『ボクシング』役物機と並んで一世を風靡した一台で、レトロ解説では特電機として分類される。実機・セル盤の実写動画が複数残る。

調べたこと

賞球オール13。盤面デザインは宇宙イメージなのに、役物にはボクサーが描かれているちぐはぐさで知られる一台。天下役物の上部に入賞スペースがあり、飛び込んだ玉が奥へ吸い込まれると中央のスライドアタッカーが開閉を始める。アタッカー下部は3箇所に振り分けられていて、左右へ入ると終了(パンク)——羽根モノとも権利物ともつかないハイブリッドで、釘次第で一撃数千発にも、最初の開閉で即終了にもなった。※同名機が3社にある。西陣『ボクシング』(1976年8月)、京楽産業『ボクシング』『ボクシング4』『ボクシング5』(いずれも1992年8月)はすべて別物。

タイムトンネルの動画 ▶ パチンコ ─ 羽根モノ

タイムトンネル

SANKYO

SANKYOオンライン博物館の機種コレクションに1981年機として掲載されている羽根モノ。盤面中央の役物で玉を運びV入賞を狙うタイプで、ゲームセンタータンポポのSANKYOコラボでも実機が並び、レトロ愛好家の実戦動画が残る。公開されている当時のスペック表・発売月の一次資料は乏しく、詳細な出玉仕様までは資料により記述が割れる。

調べたこと

賞球オール13。同社『空中戦』と同じ開閉式のVゾーンを採用した羽根モノで、羽根の開閉回数は落とし入賞で1回、センター入賞で2回。10カウント&最大継続8回という仕様だった。窓式のセーフ穴が残っているところに、いかにも1981年らしい古さがある。※1981〜83年の他社に同名機は見当たらない(パチンコビレッジの当該3年分117件を全件確認)。

パチンコ ─ 普通機

センターチューリップ

SANKYO

SANKYOオンライン博物館の機種コレクションに1981年機として掲載。盤面中央にチューリップ役物を据えた普通機(平台)とみられるが、実戦動画・盤面図・賞球数など公開資料はほぼ見当たらず、公式アーカイブの収録年以外の細部は確認できていない。個別に動画検索したが、この機種名で確実に紐づけられる映像は見つからなかった。

調べたこと

※「盤面中央のチューリップ」という一般名詞ではなく、実在の機種名。SANKYO公式の機種年表に1機種として単独で載っており、機種詳細ページも存在する。※ただし賞球・役物・盤面はすべて不明。公式の詳細ページはアクセス制限で読めず、パチンコビレッジにも収録が無く、ブログ・動画・オークション出品も見当たらなかった。検索結果に残る公式ページのタイトルには賞球欄の断片が見えるので、データ自体は公式に存在する。

パチスロ ─ 0号機

モンスターパート2

北電子(12月)

北電子公式アーカイブに「0号機 モンスターパート2/1981年12月発売」と明記される機種。前年8月の『モンスター』の後継で、のちの『モンスターパート3 サーカス』『ジャグラー』へと続く北電子系譜の初期に位置する。0号機世代のため実機実戦の公開動画はほぼ見当たらず、公式アーカイブの年表が一次の裏取りになる。

調べたこと

0号機。初代モンスターの続編として1981年12月に発売(メーカー公式)。役構成や払い出し枚数などのスペックは、どの資料にも見つかっていない。※Wikipediaの0号機一覧にも他の資料の0号機リストにもこの機種は載っておらず、実在の裏付けはメーカー公式に依存している。※北電子の公式アーカイブスに「0号機/モンスターパート2/1981年12月発売」と明記されており、年月とも正しい。出典(slothistory)にはこの機種が載っておらず、年はメーカー公式から取っている。

パチスロ ─ 0号機

アメリカーナ15年 要確認

ユニバーサル

1980年の前身『アメリカーナ』が箱型筐体への転換を先導した系譜の一台。名称の「15」は5ライン仕様を示すとされる(前身は3ライン)。導入時期は1981〜1984の年幅付きで、公開スペック表は乏しい。のち1号機『アメリカーナXX』(1985)へと続くアメリカーナブランドの中間世代。

調べたこと

0号機。初代アメリカーナの後継で、初代が3ラインだったのに対しこちらは5ラインに増えている(1情報源のみ)。それ以外の数値は資料が見つかっていない。※1981年という年の裏が取れていない。資料の導入時期は「1981〜1984」という幅のある表記で、年を特定していない。※『アメリカーナ』(3ライン)の後継にあたる5ライン機とされる。出典の「1981〜1984」は稼働期間の推定で、発売年ではない。ユニバーサルの公式沿革にも記載が無く、「1980年のアメリカーナより後」ということ以上は分かっていない。

パチスロ ─ 0号機

ブラックパンサー年 要確認

ユニバーサル

キングジャガー/レッドライオンと同時代の、ユニバーサル動物名箱型機。導入年は1981〜1984幅。実戦動画・賞球表はほぼ残っておらず、名簿と系譜関係以外の細部は確認できていない。

調べたこと

0号機。「キングジャガー」「レッドライオン」と並ぶユニバーサル元祖“獣パチスロ”三兄弟の一台で、3機種は基本仕様が同じ(1情報源のみ)。当時は地区ごとにコイン単価も交換率も決まっておらず、基本仕様が同じでも地域ごとに異なるゲーム性の機械が用意されていた。数値は見つかっていない。※1981年という年の裏が取れていない。※ユニバーサル販売の元祖「獣パチスロ」三兄弟の一台で、『キングジャガー』『レッドライオン』と基本仕様は同じ。出典の「1981〜1984」は稼働期間の推定で、発売年ではない。

パチスロ ─ 0号機

リバティベル年 要確認

ユニバーサル

のち2号機期に『リバティベルIII/IV』が続くリバティベル系譜の初期枠。導入時期は1981〜1984幅。当時の役構成の一次資料は薄く、シリーズ名の起点として名簿に残る一台。

調べたこと

0号機。アメリカーナの姉妹機で、スペックも絵柄も同じ。アメリカーナが関東中心、リバティベルが関西中心に出荷された。アースタッチ式ストップボタンを採用し、右リールにブランク図柄のレモンが1つだけ入っている(1情報源のみ)。後の2-2号機「リバティーベルIII/IV」の名前の由来になった。※1981年という年の裏が取れていない。1899年の米チャールズ・フェイ「Liberty Bell」とは無関係。※そのアメリカーナはユニバーサルの公式沿革で1980年発売と確認できるため、同じ機械の地域違いであるこの機種も1980年が正しい公算が高い。出典の「1981〜1984」はホールで稼働していた期間の推定にすぎず、先頭年に根拠はない。

パチスロ ─ 0号機

セブンターゲット年 要確認

高砂電器

高砂電器の箱型0号機。のちのセブン/ワンダーセブン路線の前史に位置づけられるが、当時のスペック一次資料は薄い。導入年は1981〜1984幅で要確認。

調べたこと

高砂電器産業として初の箱型マシン。木目調の筐体を採用した。セキュリティ性能が高く、その仕組みは1.5号機の「ワンダーセブンII」まで受け継がれた。ボーナス図柄は機種名のとおり「7」と「標的(ターゲット)」。※出典の年表記は「1981〜1984」で、これは稼働期間の推定。発売年を特定できる資料は見つかっていない。

パチスロ ─ 0号機

パルサーナイト年 要確認

尚球社

1980年の『パチスロナイト』『パチスロパルサー』と同社箱型群の延長線上。山佐『パルサー』シリーズとは別系統の同名系譜で、導入年は1981〜1984幅。詳細スペックは未確認。

調べたこと

尚球社が販売していた箱型マシンで、「パチスロナイト」の沖縄仕様バージョン。沖縄では約250台ほどしか設置されていなかったという(1情報源のみ)。※出典の年表記は「1981〜1984」で、これは稼働期間の推定。元になったパチスロナイトが1980年なので1981年前後は不自然ではないが、裏は取れていない。

パチスロ ─ 0号機

パチスロデートライン年 要確認

興進産業

のち1号機『デートライン』(1985)や『デートライン21』へと続くデートライン系譜の初期枠。導入時期は1981〜1984幅。箱型筐体以外の細部は資料が薄い。

調べたこと

機械の内容を書いた資料が一つも見つかっていない。※出典の年表記は「1981〜1984」で、これは稼働期間の推定。さらに業界誌系の資料は「同社の第1弾パチスロは1号機のデートライン」と書いており、0号機版の存在そのものを認めていない。実在と年の両方に確認が必要。興進産業は後のラスター。

パチスロ ─ 0号機

モンスターパート1年 要確認

北電子

公式アーカイブで月日が確定している『モンスターパート2』(1981年12月)や前年『モンスター』とは別に、slothistory名簿上のパート1枠として残る。導入年は1981〜1984幅で要確認。北電子モンスター系譜の名簿上の兄弟機。

調べたこと

当時の北電子の看板シリーズ。販売はパチンコメーカーの西陣が担当していた。※北電子の公式アーカイブスは「モンスター 1980年8月発売」と明記しており、この年に置いてあるのは誤り。公式の表記も「モンスター」であって「パート1」ではない(パート2が出たので後から1と呼ばれた形)。SANKYOのパチンコ「モンスター」(1987年)とは別機種。

サムネイルはYouTube公式が提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。センターチューリップと0号機スロット各機は、探したうえで個別に紐づく公式/準公式動画を見つけられなかったためサムネイル無しです。

ほか64機種(パチンコ40・パチスロ24)。 1981年の77機種を年表で見る →

全機種一覧

1981年に導入された77機種を、導入月の順に並べています。種別ボタンで絞り込めます。

読み込み中…

年表でも同じ一覧を見られます。 1981年の全機種を年表で見る →

第五章

あの頃の空気 ── ポートピア、なめ猫、アラレちゃん

3月20日、神戸の人工島ポートアイランドでポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)が開幕する。 9月15日までの会期に約1,610万人が訪れ、地方博としては異例の黒字と「地方博ブーム」の火付け役になった。 関西初のパンダ展示やゴダイゴのテーマ曲、ポートライナーの開業とあわせて、街全体が博覧会の熱に包まれていた年でもある。

この年、日本中の車のリアウィンドウに小さな猫が座っていた。なめ猫――サングラスをかけ、 革ジャンにリーゼントの衣装をまとった子猫のグッズは、1980年の発売から1981年に爆発的なブームを 迎える。ポスターは600万枚、ブロマイドは1200万枚を売り上げ、11月21日発売のシングルレコード 『なめんなよ』はオリコン週間5位を記録した。交通違反で免許証の提示を求められた運転手が、 こぞって「なめ猫の運転免許証」を差し出すいたずらが相次ぎ、警察から発売元に苦情が入るほどの 社会現象になっている。火付け役は地元・名古屋のテレビ番組『ぱろぱろエブリデイ』だったという。

4月8日、フジテレビ系でアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』の放送が始まる。関東地区の平均視聴率は 22.7%、12月16日放送分ではシリーズ最高となる36.9%を記録するお化け番組になった。作中の 「んちゃ!」「バイちゃ!」は子どもたちの合言葉になり、朝日新聞のコラム『天声人語』が取り上げるほどの 流行語に。関連グッズはこの年だけで70社・700品目以上が発売される空前のキャラクタービジネスを 生んだ――もっとも、そのブームは2年後の1983年、業界が「アラレちゃんショック」と呼ぶ急激な失速を 迎えることになる。

土曜の夜には、もうひとつの爆笑が育っていた。5月からパイロットが流れ、10月10日からレギュラー化した フジテレビ系『オレたちひょうきん族』だ。ビートたけし・明石家さんまら東西のお笑いが並び、のちに 『8時だョ!全員集合』を追い落とすまでの看板番組へと育っていく。ホールの外でも、テレビの中でも、 「派手な何かが一気に広がって、すぐ枠をはめられる」──そんな空気が、この年の日本を覆っていた。

この年の顔

その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。

1981年10月 TVCM集のサムネイル

1981年(昭和56年)10月 TVCM集 ── その年に実際に流れていたテレビCMをまとめたアーカイブ映像。当時の商品・空気感がそのまま残っている。

なめ猫ブームのサムネイル

なめ猫ブーム ── 1981年に社会現象となった、なめ猫グッズブームを振り返る懐かし映像。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます(実在を確認済み)。

第六章

数字で見る1981

1,326,830枚「ルビーの指環」(寺尾聰)の年間シングル売上1位
約25万台「ゼロタイガー」(平和)の推定販売台数。羽根モノというジャンルを作った
6月10日警察庁が超特電機のスペック通達を出した日(10R上限・保留4個など)
36.9%『Dr.スランプ アラレちゃん』の最高視聴率(12月16日放送分、関東)
120,800円1981年の大卒初任給(厚労省系の年次統計)
4円貸玉料金。1978年に上限が4円となって以降、この年も据え置き
77機種名簿上の1981年パチンコ・パチスロ(パチンコ45/パチスロ32。0号機の多くは年幅付き)
約1,610万人ポートピア'81の入場者数(3月20日〜9月15日)
年400〜500軒フィーバー人気を追い風に、この頃全国のホール数が増えていったペース
11月21日なめ猫のシングル「なめんなよ」発売。オリコン週間5位を記録
第七章

あなたの1981年

この年、あなたはどこで何をしていましたか。

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