特集 ─ 昭和57年
1982
権利物が、
生まれた年。
4月1日、新しい500円硬貨が発行された。6月23日には東北新幹線が大宮―盛岡間で暫定開業し、
11月15日には上越新幹線・大宮―新潟間も開業する。10月4日には「笑っていいとも!」が
放送を開始した。世の中が塗り替えられていくこの年、ホールの中でも静かな転換が
起きていた。前年に登場したフィーバー機の人気が過熱しすぎたため、業界はこの年、
フィーバー機の設置台数を全体の30%までに抑える自主規制に踏み切る。そして同じ1982年、
平和の「バトルエース」と京楽の「コスモアルファ」という2台が、盤面のV穴に玉が入ると
「権利」が発生するという新しいゲーム性を持ち込んだ。これが、のちに大きなジャンルへと
育つ「権利物」の起点である。
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第一章
自主規制の年に、何が生まれたか
1982年のホールは、前年に爆発的な人気を呼んだフィーバー機の反動から
始まった。1980年に登場した初代『フィーバー』は瞬く間に全国のホールを
席巻し、大当りの興奮から心臓発作や、出玉欲しさの借金・強盗事件までもが
相次ぐ社会問題に発展していた。業界はこの年、フィーバー機の設置台数を
全体の30%までに抑える自主規制に踏み切る。盤面から、フィーバーの熱狂
だけに頼らない別の面白さが求められていた。
その答えのひとつが、盤面中央の穴に玉が入ると「権利」が発生するという、
まったく新しいゲーム性だった。平和の『バトルエース』と京楽の
『コスモアルファ』——この2台がほぼ同時期に登場し、権利発生中に
もう一度穴へ入ると即座に権利を失う「パンク」というスリルで、プレイヤーを
惹きつけた。正式な機種区分としての「権利物」が生まれるのは1985年まで
待つことになるが、そのジャンルの起点はまぎれもなくこの1982年にある。
そのほかにも、SANKYOの羽根モノ『キングスター』、西陣の
『エレックスサンダーバード』など、のちに羽根モノや一発台という
ジャンルの原型となる台が、この年のカタログには静かに並んでいた。
フィーバーの熱狂が一段落したこの年こそ、パチンコという遊技機が
次の10年に向けて、新しい仕組みを試し始めた年だったのかもしれない。
フィーバー機を30%に抑える自主規制の年に、盤面に「権利」という新しい概念が生まれた。
規制が生んだ空白を、まったく新しいゲーム性が埋めていった。
第二章
ホールの中で、世の中で
1月
─
21日、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」発売
5月
─
21日、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」発売(『火曜サスペンス劇場』初代エンディングテーマ)
6月
─
23日、東北新幹線 大宮―盛岡間 暫定開業/30日、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」発売
7月
─
21日、あみん「待つわ」発売──1982年最大のヒット曲に
10月
─
1日、ソニーが世界初の家庭用CDプレーヤー『CDP-101』発売(168,000円)/4日、「笑っていいとも!」放送開始
通年
バトルエース(平和)、コスモアルファ(京楽産業)ほか計41機種——盤面のV穴に玉が入ると「権利」が発生する新ゲーム性が生まれ、のちの「権利物」というジャンルの起点になった。フィーバー機の設置台数を30%に抑える自主規制も、この年に導入された
─
第三章
この年の音 ── 1982年のヒット曲/オリコン年間シングルランキングTOP15
待つわ / あみん ── 年間1位・1,018,060枚。1982年7月21日発売のデビュー曲。ポプコングランプリ受賞曲でもある。
セーラー服と機関銃 /薬師丸ひろ子 ── 年間2位・835,360枚。1981年11月21日発売、同名映画の主題歌。
聖母たちのララバイ /岩崎宏美 ── 年間3位・785,320枚。1982年5月21日発売、日本テレビ『火曜サスペンス劇場』初代エンディングテーマ。
心の色 /中村雅俊 ── 年間4位・697,440枚。1981年11月25日発売。TBSドラマ『われら動物家族』のテーマ曲となり、1982年3月に週間1位を記録した。
北酒場 /細川たかし ── 年間5位・647,690枚。1982年3月21日発売。作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士。
悪女 /中島みゆき ── 年間6位・624,160枚。1981年10月21日発売。売上80万枚を超え、中島みゆきの代表曲のひとつになった。
ハイティーン・ブギ /近藤真彦 ── 年間7位・606,510枚。1982年6月30日発売、同名映画の主題歌。作曲は山下達郎。
チャコの海岸物語 /サザンオールスターズ ── 年間8位・556,650枚。1982年1月21日発売。作詞作曲は桑田佳祐。
情熱・熱風・せれなーで / 近藤真彦 ── 年間9位・約55.5万枚。1982年1月7日発売。マッチ人気の勢いをそのまま映した年明けシングル。
ふられてBANZAI / 近藤真彦 ── 年間10位・約52.9万枚。1982年3月31日発売。この年だけでマッチは年間TOP10に3曲を送り込んだ。
渚のバルコニー / 松田聖子 ── 年間11位・約51.3万枚。1982年4月21日発売。映像はSony Music(Japan)公開のコンサート映像。
赤いスイートピー / 松田聖子 ── 年間12位・約50.0万枚。1982年1月21日発売。映像はSony Music(Japan)公開の武道館ライヴ。
ウエディング・ベル / シュガー ── 年間13位・約48.5万枚。1981年11月21日発売。3人組アイドルの代表ヒットで、翌年のチャートにも残った。
哀愁のカサブランカ / 郷ひろみ ── 年間14位・約46.8万枚。1982年7月17日発売。夏の歌謡曲として長くラジオに乗った。
小麦色のマーメイド / 松田聖子 ── 年間15位・約46.7万枚。1982年7月21日発売。この年だけで聖子は年間TOP15に3曲を並べた。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。松田聖子の3曲はSony Music(Japan)公開映像。1980年代前半の曲は公式MVの公開が限られるため、その他は公開されているアーカイブ/音源動画を使用しています。
第四章
この年の台
実機の写真は使えないため、当時の実戦動画・解説動画への入口として、YouTube公式のサムネイルを表示しています(対応する動画があるものだけ)。
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パチンコ ─ 権利物
バトルエース
平和
京楽の『コスモアルファ』と並び、『権利物』というジャンルの原点とされる一台。役物後方からステージを経由して中央のV穴に入賞すると『権利』が発生し、10秒間の開放が最大10回まで続く。権利発生中にもう一度中央の穴へ入ると即終了する『パンク』があった。正式な機種区分としての『権利物』は1985年まで存在しなかったが、この台とコスモアルファが、のちに一大ジャンルとなる権利物の起点とされている。
調べたこと
権利物なので大当り確率という項目がない。賞球はオール15。センター役物に入賞すると権利が発生し、以後は始動チャッカー入賞でアタッカーが10秒×10回(最大10サイクル)開放する。センター穴に再度入賞すると権利は消滅(パンク)した。権利モノの1号機と言われている(数値は1情報源のみ)。
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パチンコ ─ 権利物
コスモアルファ
京楽産業
『権利物』の原点とされる一台。盤面中央で6つ穴の回転体がまわり、そのうち2つの赤い半月板(V)に玉が乗ると『権利』が発生する。権利発生中に再び穴へ入ると『パンク』して権利を失う——そのスリルが当時のプレイヤーを惹きつけた。平和の『バトルエース』とともに、権利物というジャンルを生んだ2台のうちの1台。
調べたこと
権利物(一般電役型)なので大当り確率という項目がない。賞球はオール13。役物内の6つ穴の回転体に玉を送り込み、赤い穴に入れば権利獲得。権利中はアタッカーが5.8秒×10回開放し、最大継続10回(数値は1情報源のみ)。
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パチンコ ─ 一発台
エレックスサンダーバード
西陣
盤面左右の穴に玉が入るとチューリップが開き、入りにくいアタッカーへの新しい経路ができる仕組み。発売時点では『一発台』として企画されたわけではなかったが、結果的にそのジャンルの元祖とされるようになった一台。2つ目の入賞でチューリップが閉じて『パンク』する。とくに千葉県では、当時のフィーバー機規制の影響もあり『最初はまったく入らないが、一度入ればパンクしにくい』という独特の釘調整がなされ、人気を呼んだ。
調べたこと
一発台(本来は一般電役)なので大当り確率という項目がない。天横または脇の小窓の入賞口に入るとカイザーチューリップが開き、玉が一気に中央へ流れる。中央の「LUCKY」チャッカーに入賞するとアタッカーが開放し、カイザーチューリップに再入賞するとパンクする。末期には天横の入賞口を完全に潰し、小窓下のジャンプ釘を真下に曲げて一発台に仕立てる店があった。「元祖一発台」と呼ばれる。賞球・アタッカー開放時間・総出玉は見つかっていない。
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パチンコ
ニューフィーバー'82
SANKYO
1980年の初代『フィーバー』から2年、当時のSANKYOフィーバーシリーズ最新機として登場。SANKYO公式チャンネルの『もう一度打ちたい!』シリーズで、仕組みや演出があらためて振り返られている一台。
調べたこと
通称「タコフィーバー」。ドラムに描かれたタコ型宇宙人が呼び名の由来で、初代『フィーバー』から数えて三代目にあたる。ドラム下・右上・左上にある「スロット」と名付けられたチャッカーへ入賞するとドラムが左→中→右の順に止まり、続いてドラム上部のデジタルが動く。ドラムの777+上デジタルの7で大当り、賞球オール13・大当り確率約1/500・最高10ラウンドで、下部アタッカーは30秒開放(規制後は15秒)だった。兄弟機に「B型」と「3連アタッカー」があり、実際に最も出回ったのはB型。※登場時期に食い違いがある。SANKYO公式年表は1982年枠だが、業界系ブログは「1981年10月に登場」としている。「'82」は年式ネーミングなので、実際の登場は1981年秋の可能性がある。
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パチンコ ─ 羽根モノ
キングスター
SANKYO
8ラウンドの羽根モノ。大当りしてもファンファーレが鳴らないという渋い仕様ながら、『ゼロタイガー』と並ぶ昭和の羽根モノの名機として、いまもレトロパチンコ愛好家のあいだで語り継がれている。
調べたこと
羽根モノ(SANKYO初の羽根モノ)なので大当り確率という項目がない。賞球はオール13、貯留機能なし(2情報源一致)。通常時は左右の始動口入賞で羽根が1回、中央下の始動口入賞で2回開放。大当り中は羽根の開閉が32回続き、その間に再度Vゾーンに入賞すればラウンド継続で最高8ラウンド。カウント数に関係なく羽根開閉の規定数でパンクする仕様で、開放は長短が不規則なランダム開放だった(都道府県によっては10カウント義務付け・ランダム開放禁止の指導があった)。※2003年のSANKYO同名機、1992年のキングスターαは別機種。
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パチンコ ─ 羽根モノ
空中戦
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載される羽根モノ。ゲームセンタータンポポのSANKYOコラボでも実機が並び、レトロ愛好家の実戦動画が残る。両落とし入賞で役物が開くタイプとして当時のカタログ紹介が引用されることもあるが、賞球数など公式スペック表の一次資料は薄い。
調べたこと
羽根モノなので大当り確率という項目がない。賞球はオール13、カウント数なし(3情報源一致)。両落しに入賞するとセンター下の両翼と中央上のVポケットが1回開き、両側の回転チャッカーも1回転する。センターが開いている時にVポケットへ入賞すると両翼とVポケットが18回の開閉を繰り返し、その間にまたVポケットに入賞すればその時点から18回開閉をやり直す(繰り返しは最高8回まで)。当時のカタログでは「オリジナル電動ヤクモノ」と呼ばれていた。
パチンコ
サンダーライアン
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載。フィーバー機の設置台数が自主規制で抑えられた年のラインナップの一台で、同博物館では『キングスター』『空中戦』『クレージードッグ』などと並ぶ。個別の実戦動画・盤面解説は探したが見つからず、収録年以外の細部は確認できていない。
調べたこと
資料が見つからなかった。存在が確認できるのはSANKYO公式の機種年表の1982年枠だけで、パチンコビレッジの1982年32件にも収録が無く、ブログ・動画・オークション・掲示板のいずれにもヒットしない。賞球数も不明。※検索すると別世代の「サンダーV」などに吸われる。
パチンコ
クレージードッグ
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載。犬をモチーフにした名を持つカタログ機で、同年代の『スペースバロン』『サンダーライアン』と同じく博物館収録で存在は確認できる。個別の実戦動画・役物構造の公開資料は見つからなかった。
調べたこと
資料が見つからなかった。存在が確認できるのはSANKYO公式の機種年表の1982年枠だけ。※注目すべきは、公式の機種詳細ページのタイトルが「『クレージードッグ』機種詳細|1982年代/パチンコ機」で終わっていて、他機種には付く「/賞球数(ALL13)」の部分が無いこと。つまりメーカー公式にも賞球データが残っていない機種である。
パチンコ
スペースバロン
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載される宇宙モチーフのカタログ機。同年の『キングスター』『空中戦』などと並んで収録されるが、盤面図・賞球数・個別実戦動画は公開資料では見当たらない。
調べたこと
資料によれば、役物中央のVに入賞すると権利が発生し、以後は左右の「落とし」に玉が入るたびに下部アタッカーが10秒間開放される。この開放は最大10回まで続き、完走すればおよそ800発。第三種という区分ができる(1985年)前の、権利物というゲーム性そのものが生まれたばかりの時期の一台だった。※ただしこの記述の出典サイトは現在消滅しており、Wayback Machine にも保存が無い。検索エンジンに残っているインデックス経由でのみ内容を確認しているため、原文を直接読めていない。賞球数も不明。
パチンコ
ローリングファイヤー
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載。機種名から回転・炎モチーフと推測されるカタログ機で、同年の宇宙もの・動物ものと同じく収録は確認できる。盤面図・賞球数・実戦動画の公開資料は見つからなかった。
調べたこと
賞球オール13、10カウント&最大継続8回の羽根モノだが、Vの取り方が一風変わっている。羽根が開ききったときに玉がその先端に乗ると、上段ステージの奥へ流れて大当りになる仕組みで、大半の玉が導かれる下段はただのハズレ穴でしかない。羽根の開閉回数は落とし入賞で1回、センター入賞で2回。
パチンコ
コスモダイバー
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1982年機として掲載される宇宙潜水モチーフのカタログ機。『スペースバロン』と同系統のネーミングだが別機種。個別の役物解説・実戦動画は探しても見つからなかった。
調べたこと
資料が見つからなかった。存在が確認できるのはSANKYO公式の機種年表の1982年枠だけで、パチンコビレッジにも収録が無く、ブログ・動画もゼロ。検索は同名のアニメロボットに吸われる。※前年の『ギャラクシーダイバー』と紛らわしい名前だが、公式年表では別機種として1982年に収録されている。
パチスロ
モンスターパート3 サーカス
北電子
1981年12月発売の『モンスターパート2』の後継機として、北電子公式アーカイブに記録が残る1982年のパチスロ機。『サーカス3』という同名タイトルの動画がYouTube上にあるが、これは2000年代以降の4号機規制下で作られた別機種の実戦動画であり、1982年当時の実機とは異なるため、映像は採用していない。
調べたこと
北電子の公式アーカイブスに「0号機/モンスターパート3 サーカス/1982年発売」と明記されており、年は正しい(月の記載は公式にも無い)。1981年12月発売の『モンスターパート2』の後継にあたる。同アーカイブスが0号機として並べるのは未発売の『ウルトラ80』、1980年8月の『モンスター』、『モンスターパート2』と本機の4台だけで、このあと同社の名が年表に戻るのは1985年8月の1号機『モンスターパートV キャスター』になる。「サーカス」の名前は14年後の1996年4月、4号機『サーカス3』『サーカスDX』として同社のラインナップへ戻ってきた。
サムネイルはYouTube公式が提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。動画のない機種は、1機種ずつ探したうえで見つからなかったものです。
収録41機種(パチンコ38・パチスロ3)。当時はこれより多くの機種が出ており、資料が見つかるたびに増やしています。 1982年の全機種を年表で見る →
全機種一覧
1982年に導入された41機種を、導入月の順に並べています。種別ボタンで絞り込めます。
読み込み中…
年表でも同じ一覧を見られます。 1982年の全機種を年表で見る →
第五章
あの頃の空気 ── ファッションと街、テレビと新幹線
1982年、原宿の歩行者天国では、まだ竹の子族が極彩色の衣装で路上ダンスを
踊っていた。ブームのピークは1980年で、最盛期には毎週日曜、原宿に50組・約2,000人が
集まり、見物客は10万人にのぼったという。1982年にはやや落ち着きを見せ始めていた
ものの、まだその熱気は街に残っていた。
本屋やコンビニの棚では、『週刊少年ジャンプ』で新しい連載が始まっていた。
『リングにかけろ』を描いた車田正美が、この年『風魔の小次郎』の連載を
開始する。忍者同士の戦いを描いたこの作品は、のちの代表作『聖闘士星矢』へと
つながる、車田作品のひとつの転換点になった。
テレビのほうでは、10月4日にフジテレビで『森田一義アワー 笑っていいとも!』が
放送を開始した。平日昼の帯番組が以後長年にわたってお茶の間の習慣になる出発点は、
この年にある。2月8日には東京都千代田区でホテルニュージャパン火災が発生し、
多くの犠牲者を出したニュースが、連日大きく報じられた。明るい番組の開始と、重い
事故の記憶が同じ年に重なる——昭和57年の空気は、単純な「賑やかさ」だけでは語れない。
暮らしのインフラでも区切りがあった。4月1日、日本初の500円硬貨が発行された。
6月23日には東北新幹線(大宮〜盛岡)と上越新幹線(大宮〜新潟)が開業し、
「遠くへ早く行ける」感覚がまた一段、日常に近づいた年でもある。ホールの中では権利物
という新しい遊び方が生まれ、家電売り場ではCDが生まれ、街とテレビと鉄道もまた、
次の時代の入り口に立っていた。
この年の顔
その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。
1982年の懐かしいCM集 ── その年に流れていたCMをまとめた懐かしのテレビ映像。当時の商品・ファッション・空気感がそのまま残っている。
なつかし80年代の日本 昭和57年 当時の日本の映像 ── アーカイブ映像。1982年当時の日本の街や暮らしぶりが記録されている。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第六章
世界初のCDが生まれた年
10月1日、ソニーが世界初の家庭用CDプレーヤー『CDP-101』を発売した。価格は
168,000円。同じ日、CBS・ソニーとエピック・ソニーが合わせて約50タイトルの
CDを発売し、日本コロムビアも10タイトルを追加した。この年の終わりまでに、
国内で流通するCDタイトルは100種類を超えている。ヨーロッパでのCD発売より、
2週間早い船出だった。
世界で最初に量産されたCDは、ビリー・ジョエルのアルバム『52nd Street(素顔の
ままで)』(CBS・ソニー、型番35DP-1)だったとされる。レコードとカセット
テープしかなかった音楽の聴き方に、この年、静かに新しい選択肢が加わった。
ホールの中でフィーバー機が鳴り、権利物という新しいジャンルが生まれていたのと
同じ1982年、家電売り場では次の20年の音楽メディアの歴史が始まっていた。
第七章
数字で見る1982
30%フィーバー機の設置台数を制限する自主規制の上限。この年に導入された
168,000円世界初の家庭用CDプレーヤー『CDP-101』(ソニー)の発売価格。1982年10月1日発売
1,018,060枚「待つわ」(あみん)の年間売上枚数。1982年最大のヒット曲でオリコン年間1位
127,200円1982年の大卒初任給の平均
41機種この年に記録として残っているパチンコ・パチスロの数
500円4月1日に発行された新硬貨。日本初の500円硬貨
1982年2月8日ホテルニュージャパン火災
1982年10月4日「笑っていいとも!」放送開始