特集 ─ 昭和58年
1983
夢の国と、
ファミコンが生まれた年。
4月15日、千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園し、初年度だけで1,036万人が訪れた。7月15日には任天堂のファミリーコンピュータが14,800円で発売され、のちに茶の間の主役になる家庭用ゲーム機が静かに産声を上げている。5月26日には日本海中部地震が秋田・青森を襲い、104人が犠牲になった。NHK朝ドラ『おしん』は平均視聴率52.6%というドラマ史上最高記録をたたき出し、街には大川栄策『さざんかの宿』が流れていた。 パチンコホールでは、前年に生まれたばかりの新ジャンル「権利物」がまだ手探りで広がっていた時期——SANKYOの『モトクロス』『ビッグハンド』、京楽産業の『ビッグロータリー』など、単発打ちで大当りを狙う一発台が各地のホールに置かれ始めていた。パチスロ側ではオリンピアのカーニバル/ジャックポット系0号機が箱型で並び、名簿上はこの年パチンコ49・パチスロ4の計53機種が残る。
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第一章
生まれたばかりの「権利物」たちの年
1983年のホールには、前年に生まれたばかりの新しいジャンル「権利物」が、
まだ手探りで広がっていた。単発打ちで大当りを狙う、それまでの連チャン機とは
違うゲーム性——SANKYOはこの年、『モトクロス』『ビッグハンド』『アクションゲート』
『ムーラン』と立て続けに権利物をラインアップに並べ、京楽産業も
『ビッグロータリー』を送り出している。
『ビッグハンド』はセンター役物の可動アーム、『アクションゲート』は
「チータチューリップ」と呼ばれる機構、『ビッグロータリー』は回転体で
玉の行方を左右する仕掛け——のちの人気機『アメリカンドリーム』の原型に
なったとされている。各社が知恵を絞ってさまざまな役物を試していた時代で、
いまも現存台数が少ない「レア台」として語り継がれる機種が多い。
パチスロではオリンピアが『カーニバル7』『カーニバルII』『ジャックポット』
『ジャックポット7』を箱型0号機として同年枠に並べている。カーニバルIIと
カーニバル7は役構成が同じでプログラムが一部異なるとされ、ジャックポット系は
その筐体変更バージョン——まだ1号機制度(1985)前の、メーカーごとの試行錯誤が
続く時代だった。
「権利物」というジャンルが規則として整理されるのは、1985年の規則制定を
待ってから。1983年は、まだその手前の実験の時代だった。
第二章
ホールの中で、世の中で
1月
─
29日、ナムコのアーケードゲーム『ゼビウス』稼働開始
2月
─
21日、細川たかし「矢切の渡し」発売(後の日本レコード大賞受賞曲)
4月
─
15日、東京ディズニーランド開園(千葉県浦安市)
5月
─
25日、薬師丸ひろ子「探偵物語」発売/26日、日本海中部地震(秋田・青森、死者104人)
7月
─
15日、任天堂『ファミリーコンピュータ』発売(14,800円)
9月
─
『週刊少年ジャンプ』41号より『北斗の拳』連載開始
通年
権利物5機種(モトクロス/ビッグハンド/アクションゲート/ムーラン/ビッグロータリー)+オリンピア0号機4機種(カーニバル7/カーニバルII/ジャックポット/ジャックポット7)。名簿上計53機種(パチンコ49・パチスロ4)
NHK朝ドラ『おしん』平均視聴率52.6%(ドラマ史上最高)/「花の82年組」台頭/流行歌「さざんかの宿」
第三章
この年の音 ── 1983年のヒット曲/オリコン年間シングルランキングTOP10より
オリコン年間シングルTOP10のうち9曲を掲載。5位「氷雨/佳山明生」は、確実に本人音源と確認できる動画を見つけられなかったため割愛しています。
さざんかの宿 / 大川栄策 ── 年間1位・105.9万枚。有線放送発の演歌で、大川栄策最大のヒット曲。
矢切の渡し / 細川たかし ── 年間2位・90.8万枚。2月21日発売、第25回日本レコード大賞受賞曲。
めだかの兄妹 / わらべ ── 年間3位・88.5万枚。TBS系「欽ちゃんのどこまでやるの!」発の子役ユニット、わらべのヒット曲。
探偵物語 / 薬師丸ひろ子 ── 年間4位・84.1万枚。5月25日発売、同名映画の主題歌。作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一。
CAT'S EYE / 杏里 ── 年間6位・73.8万枚。TVアニメ『キャッツ・アイ』主題歌。動画は本人公式チャンネルの2000年セルフカバー版。
ガラスの林檎 / 松田聖子 ── 年間7位・70.1万枚。細野晴臣が作編曲を手がけた8月発売のシングル。
セカンド・ラブ / 中森明菜 ── 年間8位・65.6万枚。1982年11月発売の3rdシングルが翌年の年間チャートにランクイン。
フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング / アイリーン・キャラ ── 年間9位・63.8万枚。映画『フラッシュダンス』主題歌。洋楽勢で唯一のトップ10入り。
め組のひと / ラッツ&スター ── 年間10位・62.2万枚。資生堂の夏のキャンペーンソングとしてブレイクした4月発売シングル。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
第四章
この年の台
名簿上の1983年機種は計53機種(パチンコ49・パチスロ4)。うち資料の残る9機種(パチンコ5・パチスロ4)を主役カードにした。残りは年表側の一覧に載せている。
実機写真は使えないため、見つかった実戦・解説動画への入口としてYouTubeサムネイルを表示している
(無いものは機種ごとに探したうえで無しと明記)。
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パチンコ ─ 権利物
モトクロス
SANKYO
1985年の規則制定より前の初期権利物。単発打ちで大当りを狙うタイプで、現存台数が少なく「レア台」として知られる。動画はレトロパチンコ専門チャンネルの実戦映像(実在を確認済み)。
調べたこと
権利物(一般電役)なので大当り確率という項目がない。賞球は13。盤面下に電動チューリップがあり、両サイドの「落とし」に入賞すると電チューが一瞬開き、そこへ玉が入ると権利が発生する。権利発生後は落としへの入賞でセンター役物が開いて出玉を得る。大当りは10ラウンド・10カウント(1情報源のみ)。※パンクの有無とアタッカー開放時間は資料により説明が食い違うため断定していない。
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パチンコ ─ 羽根モノ
ビッグハンド
SANKYO
羽根モノに近いゲーム性を持つ一台。センター役物の可動アーム「ビッグハンド」が特徴で、始動チャッカーの位置によって羽根の開閉パターンが変わり、中央のVポケットへの再入賞で最大8ラウンドまで継続する。茨城・群馬などのホールへの設置記録が残る。
調べたこと
羽根モノなので大当り確率という項目がない。賞球はオール13(3情報源一致)。下部左右の始動入賞口に入賞するとセンター役物「ビッグハンド」の可動アームが0.8秒間の小開閉をし、下部中央の始動入賞口では小開閉・大開閉・小開閉を0.6秒ずつ連続で行う。その開閉中に中央のVポケットへ入賞すると、この連続動作を0.6秒ずつ12回、もしくは10個入賞するまで行い、繰り返しは最高8回まで継続した。
パチンコ ─ 権利物
アクションゲート
SANKYO
「チータチューリップ」と呼ばれる機構が特徴。天下穴への入賞で盤面中央上部のチューリップが開放され、開放中に始動チャッカーへ入賞するとアタッカーが一定時間開く。福島・栃木・茨城・群馬・山梨など東日本各地への設置記録が残る。SANKYO公式・レトロ実戦ともに個別動画は見つからなかった。
調べたこと
※以前ここに書いていた「チータチューリップと呼ばれる機構」「天下穴への入賞で…」「福島・栃木・茨城・群馬・山梨など東日本各地への設置記録」は、どれも裏が取れなかったため取り下げた。特に「チータチューリップ」という語はWeb上に1件もヒットせず、パチンコ用語としての存在自体が確認できない。※実際に確認できるのはSANKYO公式の機種年表の1983年枠だけで、機種詳細ページはアクセス制限で読めない。
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パチンコ ─ 権利物
ムーラン
SANKYO
1983年SANKYOラインナップの一台。賞球ALL13。SANKYO公式アーカイブでも盤面画像・役物解説がほぼ残っておらず、機種名・年式・賞球以外の一次資料が極めて薄い。動画検索でも実戦映像は見つからなかった。
調べたこと
賞球オール13。羽根モノでもデジパチでもなく、電動役物とチューリップで出玉を作る「黒花台」の一台。役物2時位置の小穴に入賞すると黒チューリップ4つが10秒間電動開放され、中央下部のウルトラチューリップも開く。天穴入賞が出玉の鍵を握るいわゆる「居玉台」で、釘調整によるバラつきが同時代の台のなかでも際立って大きかったと語られる。※以前ここに書いていた「権利物ラインの一台」は誤りだったため取り下げた。権利物ではないうえ、1983年の機種に「権利物」と書くこと自体が年代錯誤になる(第三種という区分は1985年の規則から)。※年も割れている。上の説明は「電気ムーラン」についてのもので、あるブログはそれを昭和56年(1981年)の登場としている。SANKYO公式年表は1983年に『ムーラン』を、1988年に『ムーランI』を別に収録している。
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パチンコ ─ 権利物
ビッグロータリー年 要確認
京楽産業
回転体を使って玉の行方を左右する権利物。のちの人気機『アメリカンドリーム』の原型とされ、現存数の少ない激レア機とされている。動画はレトロパチンコ専門チャンネルの実戦映像(実在を確認済み)。
調べたこと
権利物(1回権利物)なので大当り確率という項目がない。天の窓から役物に入った玉が、傾斜のついた段を右→左→右と転がり、最下部の左端まで到達すれば大当り。段の両端のアウト穴の後方で十字の風車が時計回りに回っており、その羽根がアウト穴を塞いだ瞬間だけ次のスロープへ進めた。全8ラウンドで、1ラウンドは開放10秒経過または10個入賞で終了(2情報源一致)。※1983年という年の裏が取れていない。10カウント制の一般化が1985年以降であることから、1984〜85年の可能性が高い。賞球も見つかっていない。
パチスロ ─ 0号機
カーニバル7
オリンピア
1983年の本土向け箱型0号機。『カーニバルII』と役構成は同じだがプログラム内容が一部異なるとされる。同シリーズの筐体変更版として『ジャックポット』『ジャックポット7』が並ぶ。実戦動画は見つからなかった。
調べたこと
1983年に登場した本土向けマシン(2情報源一致)。「カーニバルII」とはプログラム内容が一部だけ違う姉妹機で、役の構成は同じ。筐体を変えたバージョンが「ジャックポット」「ジャックポット7」にあたる。数値は見つかっていない。※無印「カーニバル」は別機種で、そのリール絵柄デザインは後の2号機「バニーガール」に流用された。
パチスロ ─ 0号機
カーニバルII
オリンピア
カーニバル系の兄弟機。役構成は『カーニバル7』と同じ一方、プログラムが一部異なるとされる。0号機時代のオリンピア箱型群の中核。詳細スペック表・実戦動画は公開資料では確認できなかった。
調べたこと
1983年に登場した本土向けマシン(2情報源一致)。「カーニバル7」とはプログラム内容が一部だけ違う姉妹機で、役の構成は同じ。筐体を変えたバージョンが「ジャックポット」「ジャックポット7」にあたる。数値は見つかっていない。
パチスロ ─ 0号機
ジャックポット
オリンピア
カーニバル系の筐体変更バージョンとして1983年枠に載る。機種名は後年の別メーカー『ジャックポット』系とは無関係の同名。実戦動画・賞球表は見つからなかった。
調べたこと
BIG確率 設定1で1/207〜設定6で1/170、REG確率1/468(設定差なし)。※1983年に登場した本土向けマシン。『ジャックポット7』と役の構成は同じで、筐体を変えたバージョンが『カーニバルII』『カーニバル7』にあたる。出典は単年表記で、姉妹機3機種もすべて1983年で揃っており、年は信用できる。1981年のユニバーサル製『ジャックポット』は別メーカーの同名機。
パチスロ ─ 0号機
ジャックポット7
オリンピア
『ジャックポット』同様、カーニバル系の筐体変更版。名称末尾の『7』は同時期の『カーニバル7』との並びを意識した展開とみられる。詳細スペック・動画は未確認。
調べたこと
1983年に登場した本土向けマシン(2情報源一致)。「ジャックポット」とはプログラム内容が一部だけ違う姉妹機で、役の構成は同じ。カーニバルIIとカーニバル7は、同じ中身で筐体を変えたバージョンにあたる。数値は見つかっていない。※ユニバーサルにも0号機「ジャックポット」があり、混同しやすい。
サムネイルはYouTube公式が提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。5位「氷雨/佳山明生」は本人音源の公式・準公式動画を再検索しても見つからず、曲章は9曲のままとしています。
1983年の53機種を年表で見る →
全機種一覧
1983年に導入された53機種を、導入月の順に並べています。種別ボタンで絞り込めます。
読み込み中…
年表でも同じ一覧を見られます。 1983年の全機種を年表で見る →
第五章
あの頃の空気 ── 夢の国とアイドル戦国時代
4月15日、千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園した。目標だった年間1,000万人を上回る1,036万人が初年度だけで訪れ、それまで「地方の遊園地」が当たり前だった日本のレジャーの形を塗り替えた。芸能界では、前年にデビューした中森明菜・小泉今日子・石川秀美ら「花の82年組」がこの年一気に台頭し、『赤いスイートピー』などで絶頂期にあった松田聖子との人気を二分する構図が生まれていた。田原俊彦・近藤真彦・野村義男の「たのきんトリオ」もまだテレビの真ん中にいた時代である。
本屋・貸本屋の棚では、『週刊少年ジャンプ』1983年41号から『北斗の拳』の連載が始まった。前年にフレッシュジャンプ誌で掲載された読み切り版が読者アンケートで軒並み1位を獲得しての、本誌連載入りだった。ジャンプはすでに1980年に発行部数300万部を突破しており、『キャプテン翼』『Dr.スランプ』などの看板作もまだ連載中——のちの黄金期に向けて部数を伸ばし続けていた時期にあたる。
この年の顔
その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。
東京ディズニーランド開園前の舞台裏から開園初日のにぎわい ── TBS NEWS DIG公式チャンネルが公開しているニュースアーカイブ映像。建設中の様子から開園初日の熱気までを伝えている。
1983年のCMだけ10分|懐かしすぎる昭和CM集 ── その年に実際に流れていたテレビCMをまとめた懐かしのアーカイブ映像。当時の商品・タレント・空気感がそのまま残っている。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第六章
家庭にゲームがやってきた年 ── ファミコン前夜
7月15日、任天堂がファミリーコンピュータを14,800円で発売した。発売直後は大きな話題にはならず、それどころか本体に採用したカスタムチップ(PPU)の不具合が発覚して一時出荷停止に追い込まれる、苦しいスタートだった。「ゲームはゲームセンターで遊ぶもの」という感覚がまだ当たり前の時代で、茶の間に専用のゲーム機を据え置くという発想自体が真新しかった。
同じ年の1月29日には、ナムコのアーケードゲーム『ゼビウス』が稼働を開始し、緻密な世界観と謎解きの作り込みでゲームセンターに新しい熱狂を生んでいた。家庭用ゲーム機がまだよちよち歩きだったこの年、遊びの主戦場はまだアーケードにあった。ファミコンが本格的にお茶の間を席巻し、ゲームセンターの客足に本当の意味で影響を与え始めるのは、翌年以降、『スーパーマリオブラザーズ』が出る1985年を待つことになる。
ファミリーコンピュータ CM集 1983〜1985年 ── 発売当時に実際に流れていたテレビCMをまとめたゲームCM専門チャンネルのアーカイブ映像。
懐かしのレトロゲームCM(1983年) ── ファミリーコンピュータ発売当初のCMを集めたアーカイブ映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第七章
数字で見る1983
1,036万人東京ディズニーランド開園初年度の来園者数。目標だった1,000万人を上回った
14,800円ファミリーコンピュータの発売時価格(1983年7月15日発売)
52.6%NHK連続テレビ小説『おしん』の平均視聴率。ドラマ史上最高記録
104人5月26日、日本海中部地震による死者数(うち100人は津波によるもの)
105.9万枚「さざんかの宿」(大川栄策)の売上。1983年最大のヒット
53機種名簿上の1983年機種数(パチンコ49・パチスロ4)
79.1万枚「氷雨」(佳山明生)の年間売上目安。オリコン年間5位だが公式MVが見つからず曲章では割愛
1983年4月15日東京ディズニーランド開園
1983年7月15日ファミリーコンピュータ発売