特集 ─ 昭和40年
1965
2月7日、アメリカ軍による北爆が始まり、ベトナム戦争が本格化する。6月22日には 日韓基本条約が結ばれ、日本と韓国の国交が正常化した。そして11月、のちに57か月 続く戦後最長級の好景気「いざなぎ景気」が、まだ誰も気づかないうちに静かに始まって いた。7月1日には名神高速道路が全線開通し、日本に初めて本格的な高速道路網が できた年でもある。街ではアニメ『オバケのQ太郎』が8月末に放送を開始し、たちまち 視聴率30%を超える「オバQブーム」を巻き起こす。ホールでは、貸玉料金1玉2円、 景品の上限100円という決まりごとの中、手打ち式の台に人々が肩を並べていた—— ただし、この年に登場した個別の機種名は、今回の調査でも裏付けとなる資料をほとんど 見つけられなかった。もし当時ホールに通っていた記憶がある方がいたら、このページの 一番下にぜひ書き残してほしい。
← 思い出年表にもどる1965年のホールは、まだ手打ち式の時代だった。1949年に定められた 「貸玉料金1玉2円、景品の上限100円」という枠組みが変わらず続いており、 店内にはレバーで玉を弾く音と、当たりを知らせる呼び出しランプの音が響いていた。 CR機はおろか電動ハンドルすらまだ先の話——1973年の電動式ハンドル認可まで、 あと8年ある。
この年、盤外では小さな胎動があった。前年1964年に太東貿易とセガが共同で 送り出した日本初の回胴式遊技機『オリンピア』が、1965年に入って東京に 専門店を構えはじめ、1966年末までに全国20軒へと広がっていく。ただしこれは 風俗第七号営業(今でいうゲームセンター的な業態)向けの機械で、パチンコホールに 置かれた台ではない。のちに一大ジャンルとなる「パチスロ」の原点は、この時点では まだホールの外にあった。
今回の調査でも、1965年固有のパチンコ・パチスロの個別機種名を裏付ける資料は 見つけられなかった。当サイトの機種データベースにも、この年の行は一件も存在しない。 世相・文化面では裏付けの取れる出来事が多い一方、ホールの中で何が起きていたかは、 正直に「まだ分からない」と書くしかない年だった。
1965年はオリコンの年間シングルチャート集計が始まる前(開始は1968年)のため、 「年間シングルTOP10」という形の裏付けは取れません。代わりに、第7回日本レコード大賞 (1965年)の受賞・候補曲と、発売日・映画化・売上枚数などで複数の資料が一致する曲を 5曲選び、この年を代表するヒット曲として掲載しています。
柔 / 美空ひばり ── 第7回日本レコード大賞 受賞。発売は1964年11月だが、1965年に空前の大ヒットとなり、この年のレコード大賞を受賞した。
北国の街 / 舟木一夫 ── 1965年3月発売。同名の日活映画も3月に公開。丘灯至夫作詞、ウクレレを生かした軽やかな編曲が特徴。
あの娘と僕(スイム・スイム・スイム) / 橋幸夫 ── 第7回日本レコード大賞 企画賞。6月5日発売。同名の松竹映画の主題歌にもなった。「柔」と大賞を争い、次点となった一曲。
涙の連絡船 / 都はるみ ── 1965年10月5日発売。都はるみ11枚目のシングル。翌1966年には映画化もされた代表曲。
君といつまでも / 加山雄三 ── 300万枚超。12月5日発売。映画『エレキの若大将』の挿入歌でもあり、セリフ入りの間奏でも知られる大ヒット曲。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
実機の写真・動画を確認できる機種は、今回の調査では見つけられませんでした。 ここでは正直に、分かっていることとまだ分かっていないことを書いておきます。
当サイトの機種データベースを確認しても、1965年の行は一件も登録されていません。 今回あらためて検索したものの、パチンコホールに設置された個別の機種名として 裏取りできる資料は見つけられませんでした。
候補として、スキル・ストップ・ボタン付きの回胴式遊技機「オリンピア」 (前年1964年登場、詳しくは1964年のページで紹介)を 調べましたが、風俗第七号営業(ゲームセンター的な業態)向けの機械であり、 パチンコホールの設置機ではないため、この年の主役機としては掲載を見送りました。 「雀球(じゃん球)」も一部の検索結果に「1965年に登場」との記述がありましたが、 Wikipediaの年表では初代『コミックゲート』は1957〜58年発売とされており、 1965年固有の事実として扱うのは避けています。
もし当時ホールに通っていた記憶がある方がいたら、下の「思い出」欄に、 覚えている台の名前や雰囲気を、ぜひ書き残してほしい。
街の若者ファッションは、過渡期を迎えていた。前年1964年に一世を風靡した 「みゆき族」――VANやJUNの紙袋を抱え、バミューダショーツやコットンパンツで 銀座みゆき通りにたむろした若者たち――は、同年9月の一斉補導で早くも姿を消していた。 入れ替わるように1964年夏から1965年夏にかけて広まったのが「アイビー族」で、 インドマドラス柄のシャツと木綿のパンツという「アイビールック」が、みゆき族の後継として 街を彩った。
8月29日、フジテレビでアニメ『オバケのQ太郎』(原作・藤子不二雄)の放送が 始まると、たちまち視聴率30%を超える「オバQブーム」が巻き起こる。主題歌は ミリオンセラーとなり、替え歌の「オバQ音頭」はレコードだけで200万枚、 ソノシートも合わせると400万枚を超える大ヒットに。スポンサーの不二家からは 関連菓子が発売され、子どもたちのお小遣いをオバQグッズが吸い上げていった。
経済では、7月1日に名神高速道路が小牧〜西宮間で全線開通し、日本で初めての 本格的な高速道路網が姿を見せた。そして11月、のちに「いざなぎ景気」と呼ばれる ことになる好景気が、まだ誰も気づかないうちに静かに始まっている。マイカー、 クーラー、カラーテレビ――のちに「新・三種の神器」と呼ばれる憧れの品々が、 少しずつ庶民の手の届くところに近づいていく、その入り口の年だった。
【1965年】懐かしい昭和の名作CMまとめ ── その年に流れていたテレビCMをまとめた懐かしのアーカイブ映像。
【昭和40年】1965年の東京 ── 当時の東京の街並みを記録したアーカイブ映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
この年、日本中の若者がエレキギターに夢中になった。世界的な人気を誇っていた ビートルズに加え、1965年にはザ・ベンチャーズが来日公演を行い、寺内タケシらの 活躍も相まって「エレキブーム」が最高潮を迎える。学園祭やダンスパーティーでバンドを 組む若者が急増し、モズライトなどのエレキギターが飛ぶように売れた。
12月19日には、東宝映画『エレキの若大将』(若大将シリーズ第6作)が公開される。 加山雄三演じる若大将がアメフト部のキャプテンに就任するも、仲間の不始末の尻拭いを することになり、バンド「ヤングビーツ」を結成してエレキギター合戦に挑むという物語。 劇中の挿入歌には、加山雄三自身の代表曲『君といつまでも』『夜空の星』 『ブラックサンドビーチ』が使われ、映画とヒット曲が分かちがたく結びついた一年だった。
『エレキの若大将』(1965)予告篇 ── 東宝クラシックス公式チャンネルより。若大将シリーズ第6作、1965年12月19日公開。
The Ventures Live in Japan 1965 ── 来日公演時の演奏映像(カラー化版)。当時のエレキブームの熱気が伝わる記録映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
この年、あなたはどこで何をしていましたか。