特集 ─ 昭和54年
1979
インベーダーに客を奪われた、
フィーバー前夜。
1978年夏に稼働を始めた「スペースインベーダー」は、翌1979年にかけて日本中を飲み込んだ。
街のいたるところに“インベーダーハウス”が乱立し、国会でも取り上げられるほどの社会問題になる。
そのあおりを受け、パチンコホールも客足の減少に苦しんだ年だった——この年、全国のホール数は
初めて1万軒を割り込んだとも言われている。ホールの中は、まだCRカードもデジタル抽選も持たない、
ハンドルと役物だけの、チューリップ連動の普通機が主役の時代。翌1980年に登場する『フィーバー』が、この業界の風景を
ひっくり返すことになるとは、まだ誰も知らなかった。街には渥美二郎の「夢追い酒」が流れ、
4月には後に社会現象となる『機動戦士ガンダム』がひっそりと放送を開始していた。1979年は、
パチンコにとってもテレビゲームにとっても、大きな地殻変動の“前夜”だった年である。
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第一章
客が消えた年、ホールの中は
1979年のパチンコホールの主役は、まだハンドルと役物だけの普通機——玉が役物に入るとチューリップが開く、あの連動だった。電動役物機そのものは1974年に、特電機は1978年に登場していたが、この年はまだ主流ではない。特電機が「超特電機」として大ブームになるのは1981年のこと。
CRカードもデジタル抽選もなく、玉を弾いて役物の動きに一喜一憂する、昭和のホールそのものの
風景である。貸玉料金はこの年に4円という水準で定着し、以後2013年まで実に34年間、
この値段のまま変わらなかった。
だがこの年、ホールの経営者たちは焦っていた。街のいたるところに“インベーダーハウス”が
乱立し、パチンコの客をどんどん奪っていく。全国のホール数は推定9,961軒——
統計上、初めて1万軒を割り込んだとされる年になった。
SANKYOのジュピターI型やアーサー、京楽産業のUFO機、平和のバイキングといった普通機を
各社は送り出し続けていたが、これらの多くはまだ、翌1980年に登場する『フィーバー』のような
起爆剤を持っていなかった。パチンコ業界がインベーダーブームへ本気で対抗策を打ち出すのは、
もう少し先——1979年は、まだその前夜だった。
貸玉料金は4円に定着し、ホール数は史上初めて1万軒を割った。
客を奪われながら迎えた、フィーバー前夜の一年だった。
第二章
ホールの中で、世の中で
2月
─
21日、西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」発売/25日、ジュディ・オング「魅せられて(エーゲ海のテーマ)」発売
3月
─
2日、衆議院予算委員会で「授業時間中の高校生がインベーダーゲームに熱中」と問題視される
4月
街にインベーダーハウスが急増し、ホールの客足に影響が出始める
7日、アニメ『機動戦士ガンダム』放送開始(関東地区初回視聴率5.3%)/学校がゲームセンター入店を禁じる通達相次ぐ
6月
SANKYOが『インベーダー』の名を冠したパチンコ機を投入、対抗策を模索し始める
2日、全日本遊園協会が自粛宣言/11日、警察庁が補導強化を都道府県警に通達
7月
太陽電子『テレコンマシン』発売——ブラウン管搭載のアレンジボール機、月産1,000台のヒットに/西陣『スーパーUFO』投入
10日、さだまさし「関白宣言」発売
8月
インベーダーブーム、早くも下火の兆し
4日、映画『銀河鉄道999』公開(配給収入16.5億円、アニメ映画として史上初の邦画配給収入1位)
10月
─
風俗営業実態調査で、ゲーム機設置店舗数が7月の6万9,875軒から5万24軒へ急減
通年
グランプリ、マジックハット、カーニバル、ジュピターI型、アーサー、UFO機、クランク、花篭クランク、バイキング ほか計79機種——まだCRカードもデジタル抽選も無い、チューリップ連動の普通機の時代
渥美二郎「夢追い酒」が年間1位に/千昌夫「北国の春」がロングセラーに/ゴダイゴ「ガンダーラ」/アリス「チャンピオン」
第三章
この年の音 ── 1979年のヒット曲/オリコン年間シングルランキングTOP10
夢追い酒 / 渥美二郎 ── オリコン年間1位。発売は1978年2月だが、有線放送のリクエストで約1年半かけて人気に火がつき、週間最高2位のまま年間1位を獲得——オリコン史上初のことだった。
魅せられて(エーゲ海のテーマ) / ジュディ・オング ── 年間2位。2月25日発売、26thシングル。日本レコード大賞ほか複数の音楽賞を受賞し、代表曲になった。
おもいで酒 / 小林幸子 ── 年間3位。1979年1月25日発売。当初B面だった曲が有線放送で火がつき、ジャケットと曲順を変えて再発売、17週目にオリコン1位を獲得した。
関白宣言 / さだまさし ── 年間4位。7月10日発売。8月から10月初旬までオリコン週間1位を継続し、さだまさし自身最大のヒット曲になった。
北国の春 / 千昌夫 ── 年間5位。発売は1977年4月だが、じわじわと売れ続けて1979年の年間5位に食い込んだロングセラー。のちに中国でもカバーされ大ヒットした。
ガンダーラ / ゴダイゴ ── 年間6位。1978年10月発売。TVドラマ『西遊記』主題歌で、ゴダイゴにとって日本語詞での初のシングルだった。
YOUNG MAN(Y.M.C.A.) / 西城秀樹 ── 年間7位。2月21日発売。ヴィレッジ・ピープルの『Y.M.C.A.』を日本語でカバーし、振り付けとともに大ヒットした。
チャンピオン / アリス ── 年間8位。1978年12月発売。ボクシングの元王者を描いた歌詞で、アリス最大のヒット曲となった。
みちづれ / 牧村三枝子 ── 年間9位・74.2万枚。1978年10月21日発売。水木かおる作詞・遠藤実作曲。ドラマ『大都会 PARTIII』挿入歌で、累計ミリオンに届いた代表曲。
カメレオン・アーミー / ピンク・レディー ── 年間10位・70.7万枚。1978年12月5日発売。オリコン週間1位、9曲連続1位の最後を飾った曲。阿久悠作詞・都倉俊一作曲。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
第四章
この年の台
実機の写真は使えないため、当時の実戦動画・解説動画への入口として、YouTube公式のサムネイルを表示しています(対応する動画があるものだけ)。1979年は資料が乏しく、実写映像が確認できたのはジュピターI型とバイキングの2機種のみです。
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パチンコ ─ 普通機
ジュピターI型
SANKYO
普通機。YouTube「悠遊道(レトロ想い出広場)」が「1分で分かるレトロパチンコ」シリーズで取り上げている、実写映像で確認できる数少ない1979年機種のひとつ。フィーバー登場前年、まだCRカードもデジタル抽選も無い時代の一台。
調べたこと
デジタル抽選を持たない普通機。翌1980年7月29日の東京を皮切りにSANKYOが開いた創立15周年記念の新型機発表展示会にも、『フィーバー』『アーサー』とともに「ジュピター」の名で出品された。新潟・柏崎の「レトロ想い出広場」に実機が現存し、動く映像が残っている数少ない1979年機のひとつ。※賞球数は見つかっていない。SANKYO自身のデータベースにも1979年機の賞球数の記録が無い(同社の機種詳細ページは1980年『フィーバー』以降にしか賞球欄が付かない)。※ニューギン『ジュピター2』(1991年)、大一商会『ジュピター』、パチスロ0号機の尚球社『ジュピター』はいずれも別物。
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パチンコ ─ 普通機
バイキング年 要確認
平和
レトロパチンコ系YouTubeチャンネル「レトロパチ」の年代別まとめ動画『昭和パチンコ15台 昭和54年〜60年』の概要欄で、昭和54年(1979年)の一台として名前が挙がる平和の機種。今回、映像で存在が確認できたため新たにデータへ追加した一台。
調べたこと
中央役物の上部に入った玉が内側の丸い穴へ誘導されて入賞し、盤面下部のアタッカーが開く。このアタッカーは入賞個数に関係なく、アタッカーの間のポケットに玉が落ちるまで開きっぱなしになるため、「いつ転落するか」を見守る台だった。※年が確定できていない。レトロ系の3チャンネルが「昭和54年(1979年)」「1980年」「昭和57年(1982年)」と三者三様に書いている。さらに平和の旧機種を71件収録しているパチンコビレッジの1979年カタログにも、同サイトの全年検索にも『バイキング』は1件も無い。※賞球数は見つかっていない。
パチンコ ─ 電役機
アーサー
SANKYO
SANKYOの1979年機。中央役物にいったん玉を貯めておき、アタッカーが開くのと同時にまとめて落とす、という仕掛けを持っていた。翌1980年7月29日の東京を皮切りにSANKYOが全国で開いた「創立15周年記念謝恩新型機発表展示会」では、パチンコ24機種・アレンジボール2機種・ロータリーマシン1機種という大所帯のなかで、『フィーバー』と並ぶ二本柱の目玉として扱われた。
調べたこと
※「1979年か1980年か」の疑問は決着した。1979年で正しい。 SANKYO公式年表の1980-84年の欄を確認したところ、1980年に載っているのは『フィーバー』1機種だけで、アーサーは入っていない。1980年7月の展示会は「1979年機のアーサーが、新型のフィーバーと並んで主力として出品された」場であって矛盾しない。同じ展示会には『ビリオンキャット』『ジュピター』(どちらも公式年表では1979年機)も出ている。※当時の業界誌のレポートでも、SANKYOの主力機種は『フィーバー』と『アーサー』の2つだったと記録されている。※賞球数は見つかっていない。
パチンコ ─ 役物機
UFO機
京楽産業
「UFO機」は機種名ではなく、UFOを題材にした機種の総称。1979年の実体は京楽産業『UFO4号』(通称スーパーサン4号)で、中央役物に玉を溜めていくルートのほかに、盤面下部の役物の上に玉を1個だけ乗せ、台枠の押しボタンで真上へ打ち上げて電動チューリップを開かせるという、玉が下から飛び上がる仕掛けを持っていた。
調べたこと
日本遊技機工業組合の公式年表も1979年(昭和54年)の欄に京楽産業の機種を挙げ、「宇宙時代にふさわしく入賞するとキューン、キューンと音を出し視聴覚人間といわれる若者のこころを捕えた」と記している。※このカードは総称で立っているため、機種として立て直すなら『UFO4号』が正しい。※同名の罠が濃い。西陣『UFO』(1975年2月)、平和『ニューUFO』(1978年)、西陣『スーパーUFO』(1979年)、京楽『UFO10号』(1980年前後)がいずれも別物。UFO10号の賞球オール13をUFO4号に流用しないこと(UFO4号自体の賞球数は見つかっていない)。
パチンコ ─ 普通機
グランプリ
SANKYO
SANKYOオンライン博物館の機種コレクションに1979年機として掲載。フィーバー登場前年のラインナップの一台で、同博物館では『マジックハット』『カーニバル』『アーサー』などと同列に並ぶ。実戦動画・盤面図の公開資料はほぼ見当たらない。
調べたこと
SANKYO公式の機種年表に、ホームラン・マジックハット・カーニバル・ジュピターI型・アーサー・ビリオンキャットとともにこの年の7機種として名前だけが残る。SANKYO自身のデータベースにも賞球数の記録が無く、盤面図・実戦映像も確認できなかった。※「平和のグランプリ」という同名機はパチンコビレッジには存在しない(同サイトの「グランプリ」検索5件はすべて1986年以降の別物)。
パチンコ ─ 普通機
マジックハット
SANKYO
SANKYOオンライン博物館に1979年機として掲載。フィーバー前夜のSANKYO機の一台。同博物館の『アーサー』詳細ページでも同時期機として名が挙がるが、役物構造や賞球数の一次資料・個別の実戦動画は見つからなかった。
調べたこと
SANKYO公式の機種年表に、この年の7機種の一台として名前だけが残る。SANKYO自身のデータベースにも賞球数の記録が無く、役物構造の一次資料も実戦映像も見つからなかった。※SANKYO『マジックカーペットI』(1989年・貯留式ハネモノ・賞球オール13)と混同しやすい。実戦動画が大量にあるのは全部そちらで、この機種の映像は1本も見つかっていない。※「マジシャンの帽子を思わせる名」という以前の説明は、名前からの想像であって出典が無い。
パチンコ ─ 普通機
カーニバル
SANKYO
SANKYOが1979年に発表した、「カーニバル」を名乗る10機種以上の系譜の第1号。以後、1980年に西陣の普通機(W15)、1984年頃に太陽電子のアレンジボール、1988年に三洋物産『カーニバル2号』、1989年に銀座の一発台、1990年にマルホン工業の羽根物と続き、1992年にはニューギン(3回権利物)・奥村遊機(2回権利物)・三星(デジパチ)の3社が同じ年に同じ「カーニバル」を出すという珍事まで起きた。
調べたこと
※銀座製の一発台『カーニバル』は1989年で、同時代機ではない。パチスロ0号機のオリンピア『カーニバル』(1981年頃)ももちろん別物。※1992年に3社が同じ年に同じ「カーニバル」を出した衝撃が大きかったためか、以後「カーニバル」単独の機種は発表されていない。※賞球数は見つかっていない。
パチンコ ─ 普通機
クランク
平和
平和が1979年に発表した普通機(現金機)で、賞球はオール15。天の左(右)穴に入ると左(右)袖と中央最下部のチューリップが開き、役物に入った玉は内部を右へ左へと動いていく。中穴なら中央最下部のチューリップが開放する。当時は役物の名前がそのまま機種名になることが多く、この役物はおよそ10年後の『バリエーション3号』にも使われた。
調べたこと
※以前ここに書いていた「賞球数や図柄の一次資料・個別実戦動画は見つかっていない」は誤りだったため取り下げた。パチンコビレッジの機種詳細に、賞球オール15・種別「普通機」・玉貸機「現金機」・発表1979年・役物の動きまで載っている。※「クランクは役物の方式名では」という見立ては当たっていた。同じデータベースの平和『ステップ』の記事が「当時は役物名=機種名ということが多く、この機種で使われている役物の名前がステップということ」と明記している。
パチンコ ─ 普通機
花篭クランク年 要確認
平和
この機種名の実在が確認できていない。平和の旧機種を最も網羅しているパチンコビレッジを8通りの表記で検索してすべて0件で、「クランク」検索でも出るのは平和『クランク』(1979年)1件だけだった。名称の取り違えか出典の誤りの可能性が高い。
調べたこと
※探した先と結果:パチンコビレッジの過去機種検索を「花篭」「花籠」「花かご」「花カゴ」「ハナカゴ」「はなかご」「篭」「籠」の8通りで実行してすべて0件。同サイトで「クランク」を検索すると出るのは平和『クランク』(1979年)1件だけで、もし収録されていれば必ず引っかかる。1979年カタログ全71件を通しで確認しても、平和の和風系(金閣寺・龍宮・羽衣・鬼泣かせ・阿波おどり・おけさ・そんごくう)は揃っているのに花篭系は1件も無い。Web検索でも実質0件。※このカード自体の見直しをおすすめする。
サムネイルはYouTube公式が提供する画像です。クリックすると各動画のページが開きます。動画のない機種は、1機種ずつ探したうえで見つからなかったものです。
全機種一覧
1979年に導入された79機種を、導入月の順に並べています。種別ボタンで絞り込めます。
読み込み中…
年表でも同じ一覧を見られます。 1979年の全機種を年表で見る →
第五章
あの頃の空気 ── 銀幕とインベーダーハウスと
4月7日、名古屋テレビ系列で『機動戦士ガンダム』の放送が始まる。関東地区の初回視聴率は
わずか5.3%と振るわず、全52話の予定は43話に短縮されて終わってしまうのだが、この地味な船出が、
のちに“ガンプラブーム”を巻き起こす国民的シリーズの出発点になるとは、まだ誰も知らなかった。
夏には劇場版『銀河鉄道999』が8月4日に公開され、配給収入16億5,000万円でこの年の邦画
配給収入第1位を獲得。アニメ映画が年間の興行成績でトップに立ったのは、これが史上初めてのことだった。
『週刊少年ジャンプ』は前年(1978年)に発行部数200万部を突破したばかりで、この年には新たに
『キン肉マン』の連載も始まっている。街のファッションでは、神戸発祥の「ニュートラ」
——トラディショナルな服に海外の有名ブランドの小物を合わせるスタイル——が『an・an』『JJ』と
いった雑誌を通じて全国の若者に広がっていた時期にあたる。
音楽チャートでは演歌・ムード歌謡が強く、渥美二郎「夢追い酒」が年間1位。一方でゴダイゴや西城秀樹、ピンク・レディーのアップテンポも併存し、インベーダーハウスの電子音とあわせて「街の音」が急に賑やかになった年でもあった。
この年の顔
その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。
1979年(昭和54年)のCM ── その年に実際に流れていたテレビCMをまとめた懐かしの映像。当時の商品・空気感がそのまま残っている。
1979年の渋谷 ~109から見た景色は今とどう変わっていますか?~ ── アーカイブ映像によるスライドショー。渋谷109の周辺が今とはまったく違う姿だった頃の記録。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第六章
インベーダーゲーム大流行とホールの攻防
1978年8月、タイトーの『スペースインベーダー』がアーケードで稼働を始めると、人気は
またたく間に全国に広がった。空き店舗や喫茶店が次々と「インベーダーハウス」「ゲーム喫茶」に
鞍替えし、駄菓子屋にまで違法コピー基板の筐体が置かれる事態になる。
翌1979年に入ると、ブームは社会問題としても扱われるようになる。3月2日には衆議院予算委員会で
「授業時間中の高校生がゲームに熱中している」と指摘され、4月から6月にかけて多くの学校が
ゲームセンターへの立ち入りを禁止する通達を出した。6月2日には全日本遊園協会が自粛宣言を出し、
イトーヨーカドーや西友、ダイエーといった大手スーパーが筐体の撤去を始める。6月11日には
警察庁が非行防止のための補導強化を都道府県警に通達し、景品提供をめぐる風営法違反の摘発も
相次いだ。ゲーム代欲しさの100円玉需要で貨幣不足まで起き、日本銀行は通常月の3倍にあたる
66億円分を市中に追加供給している。
客を奪われる側だったパチンコホールも、黙って見ていたわけではない。7月には太陽電子が
ブラウン管を搭載したアレンジボール機「テレコンマシン」を発売、インベーダーゲームや
ブロック崩しを遊べる仕掛けで1か月に1,000台を売る大ヒットになった。SANKYOも『インベーダー』の
名を冠したパチンコ機を、西陣も『スーパーUFO』を投入するなど、各社がこぞって対抗機を送り出して
いる。もっとも、ブーム自体は同年8月にはすでに下火になっていたとみられ、10月の風俗営業実態
調査では、こうしたゲーム機を置く店舗数が7月の6万9,875軒・28万3,802台から5万24軒・19万3,000台へと、
わずか数か月で大きく減っている。
空前のブーム・インベーダーゲーム(鹿児島市) ── MBC南日本放送(鹿児島県のテレビ局)のアーカイブ映像。地方都市にもインベーダーゲームブームが広がっていた当時の様子が分かる。
インベーダーゲーム過熱(1979年) ── 広島ニュースTSSのアーカイブ映像。爆発的なブームの陰で事件が相次いだ、当時の広島の様子を伝えている。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第七章
数字で見る1979
9,961軒全国のパチンコホール数(推定)。インベーダーブームによる客足減で、この年初めて1万軒を割り込んだとされる
4円貸玉料金。1979年からこの値段になり、以後2013年まで34年間続いた
66億円インベーダーゲーム人気による100円玉不足を受け、日本銀行が通常月の3倍にあたる金額を市中に追加供給した
16.5億円映画『銀河鉄道999』の配給収入。アニメ映画として史上初めて、その年の邦画配給収入で1位に立った
79機種この年に記録として残っているパチンコの数(平和45・西陣28・SANKYO5ほか)
5.3%『機動戦士ガンダム』第1話の関東地区初回視聴率。全52話予定が43話に短縮された
6万9,875軒→5万24軒風俗営業実態調査によるゲーム機設置店舗数の推移(1979年7月→10月)
1979年4月7日『機動戦士ガンダム』放送開始
1979年8月4日映画『銀河鉄道999』公開