吾妻号 ブンブク
SANKYOSANKYOが1967年発売の第一号機「飛鳥」に続けて送り出した「吾妻」シリーズの一台。名前から分福茶釜のたぬきをモチーフにしたとみられるが、当時のパチンコ台は資料が乏しく、詳しい役物構成までは分かっていない。電動ハンドル認可が進み、手打ちの時代が終わろうとしていた頃の一台。
特集 ─ 昭和50年
1975
3月10日、山陽新幹線が博多まで延び、日本列島の新幹線網がひとつにつながった。10月には広島東洋カープが球団創設26年目にして初めて優勝を果たし、街には「昭和枯れすゝき」(さくらと一郎)と「シクラメンのかほり」(布施明)が流れていた。パチンコ台の貸玉料金は1玉3円、電動ハンドルの認可が進み、手打ちの時代がゆっくりと終わろうとしていた──そんな1975年10月18日、正村竹一が名古屋大学附属病院で息を引き取った。享年69。1948年に考案した「正村ゲージ」は特許を取らずに業界全体へ広まり、いまなお、すべてのパチンコ台の釘配列の原型であり続けている。「パチンコの神様」と呼ばれた男は、業界がもっとも勢いを増していたその年に、静かに姿を消した。
← 思い出年表にもどるいま現役で稼働しているどのパチンコ台も、盤面の釘は必ず何らかの「ゲージ」にもとづいて並んでいる。その原型を作ったのが、岐阜県出身の実業家・正村竹一である。1948年、正村は入賞口を大きく減らし、独特の釘配列と風車を組み合わせた新しいゲージ構成を考案した。翌1949年、このゲージを搭載した台を求める客が、朝から300メートルもの行列を作ったと伝えられている。いまのパチンコ台に見られる天釘・ヨロイ釘・ハカマといった釘の並びは、すべてこの「正村ゲージ」が原型だ。正村はこの発明を特許化しなかった。「みんなで使えばいい」──業界全体の発展を優先したその考え方が、結果として業界標準になった。
この年表が扱う1975年10月18日、正村竹一は名古屋大学附属病院で肺の病により息を引き取った。享年69。ホールの軒数が伸び続け、貸玉料金が1玉3円になり、電動ハンドルが認可されて手打ちの時代が終わろうとしていた、まさにその年だった。「パチンコの神様」「現代パチンコの生みの親」と呼ばれた男は、業界がもっとも勢いづいていた年に、静かに世を去った。この年SANKYOが送り出した「吾妻号」も、西陣が送り出した「パワーゴルフ」や「センターシャーク」も──その盤面の釘は、みな正村が生み出したゲージの上に成り立っている。
正村ゲージ ── 名古屋・西区にあった正村ビルと、歴代のパチンコ台にまつわる紹介映像。
正村ゲージの謎 ── 正村竹一が生み出した「正村ゲージ」の史実と、後年語られてきた伝説とのズレを検証する動画。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
昭和枯れすゝき / さくらと一郎 ── 年間1位・100.2万枚。発売は1974年7月だが、1975年5月に3週連続オリコン1位を獲得しミリオンセラーに。
シクラメンのかほり / 布施明 ── 年間2位・105.2万枚。4月10日発売、小椋佳の作詞作曲。第17回日本レコード大賞受賞、布施明唯一のミリオンセラー。
想い出まくら / 小坂恭子 ── 年間3位。5月25日発売、自身3作目のシングルで小坂恭子の代表曲になった。
時の過ぎゆくままに / 沢田研二 ── 年間4位。8月21日発売、阿久悠の作詞、大野克夫の作曲。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ / ダウン・タウン・ブギウギ・バンド ── 年間5位。2月発売、阿木燿子の作詞、宇崎竜童の作曲。
ロマンス / 岩崎宏美 ── 年間6位。7月25日発売、阿久悠の作詞、筒美京平の作曲。
22才の別れ / 風 ── 年間7位。2月5日発売、伊勢正三の作詞作曲。同じ作者の「なごり雪」と対をなす曲として知られる。
心のこり / 細川たかし ── 年間8位。4月1日発売、細川たかしのデビュー曲。なかにし礼の作詞、中村泰士の作曲。第17回日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞。
我が良き友よ / かまやつひろし ── 年間9位。2月5日発売、吉田拓郎の作詞作曲。かまやつひろし唯一のオリコン1位獲得曲。
冬の色 / 山口百恵 ── 年間10位。1974年12月発売、千家和也の作詞、都倉俊一の作曲。年間売上の集計で1975年チャート入り。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
SANKYO公式チャンネルの「もう一度打ちたい!」シリーズ(レトロ機種を振り返る全105本)を確認したが、収録の最古は1982年の「キングスター」で、1975年発売機の実戦動画は一本も見つからなかった。写真・動画のかわりに、当時の記録として分かっている範囲の情報をまとめている。
SANKYOが1967年発売の第一号機「飛鳥」に続けて送り出した「吾妻」シリーズの一台。名前から分福茶釜のたぬきをモチーフにしたとみられるが、当時のパチンコ台は資料が乏しく、詳しい役物構成までは分かっていない。電動ハンドル認可が進み、手打ちの時代が終わろうとしていた頃の一台。
同じ「吾妻」シリーズの一台で、犬(ブルドッグ)をあしらった盤面とみられる。SANKYOは同時期に「茜」「ブレンド」といった別フレーム名でも新台を送り出しており、「吾妻」はそのひとつ。
空港をモチーフにしたとみられる「吾妻」シリーズの一台。詳しい仕様を伝える資料は見つかっていない。
アメリカンフットボールをモチーフにしたとみられる一台。「吾妻」シリーズは同じ台枠に複数の絵柄違いを揃える形で展開されていたようだ。
昇り龍をあしらった、和柄モチーフの一台とみられる。
孔雀をあしらった一台とみられる。
コンドルをあしらった一台とみられる。「吾妻」シリーズは1967年の「飛鳥」と1977年の「ブレンド」の間にあたる、SANKYO草創期の一台にあたる。
西陣が1975年2月に発売した一台。スキーをモチーフにした盤面とみられる。
西陣が1975年2月に発売した一台。石川五右衛門をモチーフにしたとみられる、男女ペア(アベック)向けの訴求を意識した一台。
西陣が1975年6月に発売した一台。人魚をモチーフにした盤面とみられる。20年後の1995年にSANKYOが「マーメード」という似た響きの名前の権利物を出しており、表記もモチーフも異なる別機種だが、名前の偶然が興味深い。
西陣が1975年8月に発売した一台。ゴルフをモチーフにした盤面とみられる。当サイトの収録には無かった機種で、パチンコビレッジの過去機種データベースで実在を確認できた。詳しい役物構成を伝える資料までは見つけられていない。
西陣が1975年8月に発売した一台。詳しい役物構成を伝える資料までは見つけられていない。
西陣が1975年12月に発売した一台。サメをモチーフにした盤面とみられる。西陣製「センター」を冠した機種がこの年複数登場しており、シリーズ展開の一台と考えられる。
この年に記録が残る全13機種を掲載しています。
3月10日、山陽新幹線が岡山から博多まで延伸し、新大阪と博多がひとつの新幹線でつながった。テレビの世界にも新しい顔が次々に登場した年だった。4月5日には特撮『秘密戦隊ゴレンジャー』が放送を開始。5人の戦士が色で役割分担するという、のちの『スーパー戦隊』シリーズすべての原点となる作品で、最高視聴率は22%、関連玩具(ポピニカのゴレンジャーマシン)は年間46億円を売り上げたという。10月15日には、とんちで知られる少年僧が主人公のアニメ『一休さん』も放送を開始している。
本屋の少女向け雑誌の棚では、講談社『週刊少女フレンド』で大和和紀の『はいからさんが通る』が連載を開始した。大正時代を舞台にしたこの作品は、のちに映画化・アニメ化を重ねる人気作になっていく。街や茶の間に流れていたのは『昭和枯れすゝき』や『シクラメンのかほり』だけではない。8月には、タレント・間寛平がパチンコをネタにした替え歌調のコミックソング『ひらけ!チューリップ』を発表し、オリコン最高25位を記録した。作詞作曲は山本正之——のちに『タイムボカン』シリーズなどアニメソングの巨匠となる人物である。パチンコ台の中の役物が、お茶の間の歌になっていた時代だった。
1975年の懐かしいテレビCM ── その年に放送されていたテレビCMをまとめた懐かしのアーカイブ映像。
【昭和50年】1975年 なつかしの昭和にタイムスリップ! ── その年の出来事・流行・世相をまとめて振り返る懐かしチャンネルの映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
この年、あなたはどこで何をしていましたか。