特集 ─ 昭和48年
1973
手で打つ時代が、
終わっていった年。
10月、第四次中東戦争をきっかけに原油価格が引き上げられ、日本は第一次オイルショックに
突入する。トイレットペーパーが店頭から消え、銀座のネオンが消え、あらゆる値札が
書き換えられていった年——それが1973年だった。ホールの中でも、静かに大きな変化が
起きている。この年、電動式ハンドルが認可され、玉を弾き続けてきた手打ちの時代が、
少しずつ終わりへ向かい始めた。貸玉料金は前年からの改定で1玉3円。街には「女のみち」が
まだ鳴り続け、巨人はこの秋、9年連続日本一という記録をついに達成する。パチンコ・
パチスロの機種として名前が記録に残っているものはまだ数えるほどしかないが、平和の
『大三元』のような麻雀モチーフの権利物が、その数少ない生き証人のひとつだ。
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第一章
ピークではなく、分岐点だった年
1973年、ホールでは静かだが大きな変化が起きていた。この年、電動式ハンドルが認可される。
長らく客が手でレバーを弾き続けてきた「手打ち」の時代に、電気の力を借りる新しい仕組みが
認められた瞬間だった。すぐに全てのホールが切り替わったわけではないが、この年を境に、
体力勝負だった玉打ちのスタイルは少しずつ姿を変えていく。
貸玉料金は前年1972年の改定で、すでに1玉3円になっていた。この金額は1978年に4円へ
改定されるまで、5年以上そのまま据え置かれることになる。街の有線放送やラジオからは、
前年に発売された「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)がまだ鳴り続けていた——
181.1万枚という驚異的な売上げは、1973年の年間チャートでも首位を守り続けるほどだった。
この年に発売された機種として名前が記録に残っているものは、今のところ数えるほどしかない。
そのなかの貴重な生き証人が、平和の権利物『大三元』だ。麻雀牌をモチーフにした当たり図柄、
特賞で盤面のチューリップが一斉に全開放する仕掛け——電動ハンドルが認可されたのと同じ年に、
麻雀モチーフ機の元祖ともいえる一台が登場していた。
電動式ハンドルが認可された年、街では「紙の節約」が叫ばれていた。
ホールの中も、外の世界も、何かが静かに切り替わろうとしていた。
第二章
ホールの中で、世の中で
1973年に発売されたと記録に残っている機種はごくわずかで、月ごとの新台情報はほとんど残っていません。空欄の多さそのものが、この年の資料の少なさを物語っています。
4月
─
1日、日本テレビ系でテレビアニメ『ドラえもん』が放送開始(同日、アニメ『エースをねらえ!』も放送開始)
5月
─
21日、山口百恵がシングル「としごろ」でデビュー(当時14歳)
8月
─
『週刊少年ジャンプ』が発行部数で『週刊少年マガジン』を初めて上回る
9月
─
30日、テレビアニメ『ドラえもん』(第1作)が放送終了。制作会社の解散にともない、資料の多くが失われたと伝えられる
10月
─
16日、第四次中東戦争をきっかけに原油価格が引き上げられる(第一次オイルショック)/19日、中曽根康弘通産大臣が「紙の節約」を呼びかけ/31日、大阪・千里ニュータウンでトイレットペーパー騒動が起きる
11月
─
銀座など大都市の広告ネオンが節電のため消灯/12日、政府が紙製品を生活関連物資に指定/20日、荒井由実(現・松任谷由実)が1stアルバム『ひこうき雲』を発表/『週刊少年ジャンプ』が100円から120円に値上げ/巨人が9年連続日本一を達成
通年
電動式ハンドルが認可される/平和『大三元』(麻雀モチーフの権利物)発売/貸玉料金は前年からの改定で1玉3円のまま
「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)が年間シングル売上1位・181.1万枚
第三章
この年の音 ── 1973年 年間シングルTOP10
オリコン1973年間シングルチャート上位10曲のうち9曲を掲載しています(9位「若葉のささやき/天地真理」は8位と同一アーティストのため割愛)。
女のみち / 宮史郎とぴんからトリオ ── 年間1位・181.1万枚。1972年5月10日発売だが爆発的な売れ行きが1973年にかけて続き、年間チャートの首位に立った。
女のねがい / 宮史郎とぴんからトリオ ── 年間2位・83.9万枚。1972年12月25日発売、『女のみち』に続く同コンビの第2弾ヒット。
学生街の喫茶店 / ガロ ── 年間3位・76.2万枚。1972年6月20日発売。フォーク・グループ、ガロの代表曲。動画はSony Music Japan公式チャンネルより。
喝采 / ちあきなおみ ── 年間4位・62.6万枚。1972年9月10日発売、第14回日本レコード大賞受賞曲。動画はちあきなおみ公式(日本コロムビア)チャンネルより。
危険なふたり / 沢田研二 ── 年間5位・61.8万枚。1973年4月21日発売、ポリドール。沢田研二 初のソロ・オリコン1位獲得曲。
神田川 / かぐや姫 ── 年間6位・57.9万枚。1973年9月20日発売のシングルバージョン。下宿暮らしの若者たちの定番ソングになった。動画はPANAMレーベル公式チャンネルより。
心の旅 / チューリップ ── 年間7位・50.7万枚。1973年4月20日発売、財津和夫作。チューリップの3枚目のシングル。動画はVictor Entertainment公式チャンネルより。
恋する夏の日 / 天地真理 ── 年間8位・50.1万枚。1973年7月1日発売。天地真理の代表曲のひとつ。
赤い風船 / 浅田美代子 ── 年間10位・48.0万枚。1973年4月21日発売、安井かずみ作詞・筒美京平作曲。オリコン週間1位も記録した。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
第四章
この年の台
1973年発売と確認できる機種は、調査時点でこの1台のみです。data/machines.jsにも1973年発売の行はもともと存在せず(1972年から1974年へ飛んでいた)、今回Web検索で新たに裏取りできた機種を追加しました。
パチンコ ─ 権利物
大三元
平和
麻雀をテーマにした2ラウンドの権利物。特賞に入ると盤面のチューリップが一斉に
全開放する仕掛けで、配当は2回権利で約4,400発、確率は1/250。当たり図柄には
麻雀牌の「一萬・三萬・五萬・七萬・九萬・東・南・西・北・白・發・中」を採用した、
麻雀モチーフ機の元祖ともいえる一台。電動式ハンドルが認可されたのと同じ年に
登場している。なお同名の『大三元』が1994年にも平和から発売されており、
YouTube上で見つかる実戦動画はほぼすべてその後年版のため、誤認を避けて
本ページには動画を掲載していない。
第五章
あの頃の空気 ── テレビと歌の主役交代
この年、お茶の間の主役がひそかに入れ替わっている。4月1日、日本テレビで『ドラえもん』が
初めてテレビアニメ化された。制作したのは日本テレビ動画という小さな会社で、放送はわずか半年、
9月30日に終了する。制作会社の解散にともない、スタッフが借金整理のため制作資料を河原で
燃やしてしまったと伝えられ、現存する映像はごくわずかしか残っていない。いま誰もが知る
『ドラえもん』の姿になるのは、まだこの先の話だった。
音楽の世界でも、のちの時代を作る才能がこの年に動き出している。5月21日、当時14歳の
山口百恵がデビューシングル「としごろ」でデビュー。11月20日には、まだ無名だった
荒井由実(現・松任谷由実)が1枚目のアルバム『ひこうき雲』を発表した。当時は
大きな話題にならなかったこのアルバムは、のちに日本のポップス史に残る名盤として
語り継がれることになる。
本屋・売店の棚でも、静かな逆転が起きていた。8月、『週刊少年ジャンプ』が長らく
首位だった『週刊少年マガジン』を発行部数で初めて上回る。のちに653万部という歴代最高
部数を記録する黄金期の、まだ少し手前——部数争いの最前線で起きた最初の逆転劇だった。
1973年(昭和48年)のCM集 ── 当時オンエアされていたテレビCMをまとめたアーカイブ映像。高度経済成長期からオイルショックへ向かう年の空気がそのまま残っている。
1973年頃の東京・銀座周辺 ── 車載映像と地下鉄銀座線・上野駅ホームの記録映像。当時のフィルムをHD化した貴重なアーカイブ。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第六章
第一次オイルショックと『灯りを消せ』の年
10月16日、第四次中東戦争をきっかけに中東の産油国が原油価格を70%引き上げる。10月19日には
中曽根康弘通産大臣が「紙の節約」を呼びかけ、これが不安を呼んだ。10月31日、大阪・千里
ニュータウンのスーパーが1袋138円のトイレットペーパーを特売すると、開店前から200人以上の
主婦が並び、30分で売り切れる。翌週の新聞が誤って「紙パニック」と報じたことで不安は
全国に拡大し、トイレットペーパー騒動が起きた。11月12日には政府が紙製品を生活関連
物資に指定する事態にまで発展している。実際には生産量が落ち込んでいたわけではなかったが、
騒ぎが収まったのは翌1974年3月のことだった。
街の灯りも、この年から変わり始めた。11月、東京・銀座など大都市の広告ネオンが節電のため
消灯される。デパートのエスカレーターは止まり、ガソリンスタンドは日曜休業、飲食店や
映画館も営業時間の短縮を迫られた。皮肉なことに、ホールで電動式ハンドルが認可された
のも、まさにこの「節電」の年だった。電気で動く新しい仕組みが認められたその年に、
日本中が電気を惜しんでいた——ネオンや電飾で電気を使うホールも、この空気とまったく
無縁ではいられなかったはずだ。
値上げの波は、子どもの手元にも届いた。11月、『週刊少年ジャンプ』の価格が100円から
120円に改定される。貸玉料金はすでに前年の改定で1玉3円になっていたが、それ以外の
あらゆる値札が、この冬を境に静かに書き換えられていった。
オイルショックと物不足(岡山映像ライブラリーセンター) ── RSK山陽放送公式チャンネルが公開する、当時の物不足を伝えるアーカイブ映像。
1973年11月、トイレットペーパーが消えた日 ── 騒動の発端から全国への拡大までを追った解説動画。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。
第七章
数字で見る1973
62,300円1973年の大卒初任給の平均(資料により55,600〜85,000円台まで幅がある)
1玉3円貸玉料金。前年1972年に2円から改定され、1978年の4円改定まで据え置かれた
100円→120円『週刊少年ジャンプ』の価格。オイルショックで1973年11月に値上げされた
181.1万枚年間シングル1位「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)の年間売上
1機種1973年発売と記録に残っているパチンコ・パチスロの数(調査時点)
9年連続読売ジャイアンツがこの秋に達成した日本一の連続記録(V9)
1973年10月16日第四次中東戦争。第一次オイルショックの引き金になった原油価格引き上げ
1973年11月銀座など大都市の広告ネオンが、節電のため消灯