ルートワン
平和警察庁が「100発皿装置」を認可した1969年、その上皿デザインの傑作として業界を「アッと言わせた」一台(平和公式サイトの沿革ページより)。連発式復活・上皿標準化という規制緩和の年を象徴する機種。
特集 ─ 昭和44年
1969
1954年、乱発を防ぐために封じられた連発式の発射装置。それが15年ぶりに戻ってきたのが、この1969年だった。警察庁が遊技機の新基準を全国に通達し、手動式で1分間100発までの連続発射と、上皿の標準装備を認めたのだ。平和が発売した『ルートワン』は、その上皿デザインの傑作として「業界をアッと言わせた」一台になったと自社史に記されている。世の中も大きく動いた年だった。1月、東大安田講堂事件で600人以上が逮捕され、6月には日本のGNPが西ドイツを抜いて世界2位に。7月20日、アポロ11号が月に降り立ち、日本中がテレビにかじりついた。8月には『男はつらいよ』第1作が封切られ、のちに全50作という国民的シリーズへと育っていく。街には由紀さおり「夜明けのスキャット」が流れていた──高度成長の絶頂と、パチンコの「冬の時代」の終わりが重なった年である。
← 思い出年表にもどる1954年、乱発を防ぐために連発式の発射装置が封じられて以来、パチンコ店の玉は 一発ずつ手で弾くしかなかった。世の中は高度成長の絶頂に向かっていたのに、 ホールの中だけは長い足踏みが続く「冬の時代」——それが1969年、ようやく 動き出す。警察庁が遊技機の新基準を全国に通達し、手動式発射装置による連続発射と、 上皿の標準装備を認めたのだ。
平和が世に送り出した『ルートワン』は、その上皿デザインの傑作として 「業界をアッと言わせた」一台になったと自社史に記されている。同じ年、 SANKYOの『ロータリー』のような一台もホールに並んだ。個別の仕様を伝える 資料は乏しいが、旧来の手打ち機から新基準機へと切り替わっていく過渡期の記録として 残っている。
夜明けのスキャット / 由紀さおり ── 年間1位・109万枚。1969年3月10日発売。いずみたく作曲、山上路夫作詞。歌詞のない「スキャット」パートだけで大ヒットした異色曲。
港町ブルース / 森進一 ── 年間2位・102.4万枚。深津武志作詞・猪俣公章作曲。全国の港町の名を読み上げる歌詞が印象的な演歌の代表曲。
ブルー・ライト・ヨコハマ / いしだあゆみ ── 年間3位・100.3万枚。1968年12月発売だが、年間売上集計で1969年の3位に。橋本淳作詞・筒美京平作曲。
恋の季節 / ピンキーとキラーズ ── 年間4位・86万枚。1968年発売のデビュー曲。岩谷時子作詞・いずみたく作曲。ボサノバ調で一世を風靡した。
黒ネコのタンゴ / 皆川おさむ ── 年間5位・82万枚。1969年10月5日発売。当時6歳の皆川おさむが歌った、童謡調のミリオンヒット。
禁じられた恋 / 森山良子 ── 年間6位・78.8万枚。1969年3月25日発売。山上路夫作詞・三木たかし作曲。フォークからポップスへと幅を広げていく時期の一曲。
池袋の夜 / 青江三奈 ── 年間7位・72.2万枚。ハスキーボイスと吐息交じりの歌い出しがトレードマークだった青江三奈のヒット曲。
長崎は今日も雨だった / 内山田洋とクール・ファイブ ── 年間8位・68.6万枚。前川清をリードボーカルに迎えたクール・ファイブのデビューヒット曲。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。1960年代の楽曲にミュージックビデオという概念はまだなく、埋め込んだ動画の大半は後年のアーカイブ・追悼系チャンネルによる音源動画です。
1960年代のパチンコ台は実写・実戦動画がほとんど見つからず、この年は2機種とも文章のみでの紹介になります。
警察庁が「100発皿装置」を認可した1969年、その上皿デザインの傑作として業界を「アッと言わせた」一台(平和公式サイトの沿革ページより)。連発式復活・上皿標準化という規制緩和の年を象徴する機種。
詳しい仕様やゲーム性を裏付ける一次資料は見つかっていないが、警察庁の新基準で上皿装備と百発(1分間100発)の連続発射が解禁された、業界全体が旧来の手打ち機から新基準機への切り替えを迫られていた時期の記録として残る一台。
1月18日から19日にかけて、東京大学の安田講堂に立てこもった学生たちを機動隊が 排除する東大安田講堂事件が起き、600人以上が逮捕される事態になった。 世の中が騒然とする一方で、日本経済は絶頂に向かっていた。6月、日本の国民総生産 (GNP)が西ドイツを抜いて世界第2位に。11月1日には、肖像に岩倉具視を採用した 新しい500円紙幣の発行が始まっている。そして7月20日、アポロ11号が 人類初の月面着陸を果たし、その様子は日本でもテレビで生中継された。
ファッションではミニスカートとパンタロンスタイルが街にあふれ、 ロングスカートやブーツも流行した。おもちゃ屋の店先ではママゴト遊びの定番 「ママレンジ」が人気だった。そして12月、小学館の学年誌(翌1970年1月号) から、藤子不二雄による新連載『ドラえもん』がひっそりと始まる。まだ誰も、 これが半世紀続く国民的キャラクターになるとは知らなかった。映画館では8月27日 封切りの『男はつらいよ』第1作に渥美清演じる寅さんが登場し、以後シリーズ 通算50作という前代未聞の国民的映画になっていく。12月25日にはセイコーが 世界初の量産型クオーツ式腕時計「アストロン」を発表。時計の歴史が変わった日 だった。
【昭和44年】なつかしの昭和CM集 ── 1969年に実際に流れていたテレビCMを振り返る動画。当時の商品・世相がそのまま残っている。
[Tokyo 1969] 昭和44年・東京の街並み ── アーカイブ映像。高度成長期まっただ中の東京の街並みが記録されている。
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1954年、乱発を防ぐために封じられた連発式の発射装置。パチンコ業界はこれを 「冬の時代」と呼び、以来15年にわたって一発ずつの手打ちが続いていた。それが 1969年、警察庁が遊技機の新基準を全国に通達し、手動式発射速度1分間100発 以内、出玉は1回15個以内という条件付きで連続発射が復活する。あわせて 上皿の装備も標準として認められ、平和の『ルートワン』は、その上皿デザインの 傑作として「業界をアッと言わせた」一台になったと自社史に記されている。
同じ年、パチンコ業界にはもうひとつの波も来ていた。役物に玉を落とし込み、 規定の穴に入れば大当り──というシンプルな仕組みの一発台が各社から 相次いで登場し、遊技機製造業者の登録制度も始まった年である。この百発機・ 上皿解禁の流れは、翌1970年に西陣が発売する『万朶の桜』へとつながっていく。 1分間100発を正確に打ち出す最新モデルとして大阪万博で紹介された直後、 まさかの大量回収騒動に発展する、あの機種である。
パチンコに歴史あり 手動操作時代 ── 電動ハンドルが認可される1973年より前、手で玉を弾いていた時代のパチンコを振り返る動画。
【一発台 誕生と終焉】33台の名機と振り返るその歴史 ── 1969年前後に隆盛した一発台というジャンルの誕生から終焉までを、名機とともにたどるレトロパチンコ専門チャンネルの動画。
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