特集 ─ 昭和43年

1968

曲の記憶は残り、
台の記憶だけが、まだ見つからない年。

10月17日、川端康成が日本人として初めてノーベル文学賞を受賞。12月10日には東京・府中市で現金輸送車が消え、 被害額およそ2億9430万円の「3億円事件」が世間を騒がせた。東大では紛争が激しさを増し、6月には 小笠原諸島が日本に返還されている。茶の間には『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』が流れ、7月11日には 『週刊少年ジャンプ』が創刊——今に続く漫画文化の出発点のひとつが、この年にできた。そして1月4日には オリコンの週間シングルチャートそのものが誕生している。この年表の「この年の音」が1968年から急に厚みを 増すのは、そのためだ。一方でホールの側は、1954年の連発式禁止以来続く停滞期のただ中にあった。貸玉料金は 1949年に定められた1玉2円のまま据え置かれ、名前の残っている新台はまだ見つかっていない。曲の記憶は はっきり残っているのに、台の記憶だけが、まだぽっかり空いている——それが1968年という年だ。

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第一章

記録が、まだ見つからない年

1968年のホールは、大きな空白の中にあった。1954年に連発式パチンコが禁止されて以来続く 「冬の時代」の真っただ中で、貸玉料金は1949年に定められた1玉2円のまま、この年も 据え置かれていた。時代を象徴するような新台の名前は、残念ながら見つかっていない。

事実、この年表のもとになっている機種データベースを確認しても、SANKYOの第一号機 『飛鳥』(1967年)の次に記録されている機種は1969年の『ロータリー』まで飛んでおり、 1968年という年だけが、名前の記録の上でぽっかり空いている。SANKYO公式のオンライン 博物館や日本遊技機工業組合の沿革ページを見ても、1968年単体で語られる機種情報は 見当たらなかった。

曲の記憶ははっきり残っているのに、台の記憶だけが、まだぽっかり空いている。
それが1968年という年の、正直な姿だ。
第二章

ホールの中で、世の中で

🎰 ホールの中
🗾 世の中
1月
4日、オリコンの週間シングルチャートがスタート/20日、伊東ゆかり「恋のしずく」発売
2月
小川知子がデビュー曲「ゆうべの秘密」を発表
3月
4月
5月
6月
17日、福岡高裁が特殊景品の帰属を巡り無罪判決/26日、小笠原諸島が日本に返還
7月
11日、『週刊少年ジャンプ』創刊
8月
12日、ザ・タイガースが日本人アーティスト初の単独スタジアム公演
9月
10月
17日、川端康成が日本人として初のノーベル文学賞を受賞
11月
さいとう・たかを「ゴルゴ13」連載開始
12月
10日、東京・府中市で「3億円事件」発生(被害額 約2億9430万円)
通年
貸玉料金は1玉2円のまま据え置き。名前の残る新台は見つかっていない
GSブーム(ザ・タイガース対ザ・テンプターズ)/東大紛争が激化
第三章

この年の音 ── 1968年 年間シングルTOP10

1968年1月4日はオリコンの週間シングルチャートが始まった日。この年の年間集計には、まだチャートが無かった1966〜67年発売曲の売上や、洋楽のランクインも混ざっている——それもチャート草創期ならではの記録だ。

星影のワルツ のサムネイル

星影のワルツ / 千昌夫 ── 年間1位・159.6万枚。作詞:白鳥園枝、作曲:遠藤実。北国の別れをしっとりと歌った、昭和演歌の定番。

帰って来たヨッパライ のサムネイル

帰って来たヨッパライ / ザ・フォーク・クルセダーズ ── 年間2位・131.2万枚。もともとは自主制作盤だった異色のヒット曲。テープの回転数を変えた奇妙な声が話題になった。

恋の季節 のサムネイル

恋の季節 / ピンキーとキラーズ ── 年間3位・121.6万枚。デビュー曲にして年間3位。動画はKING RECORDS公式チャンネルのMusic Video。

小樽のひとよ のサムネイル

小樽のひとよ / 鶴岡雅義と東京ロマンチカ ── 年間4位・82.4万枚。ムード歌謡ブームを牽引した一曲。

恋のしずく のサムネイル

恋のしずく / 伊東ゆかり ── 年間5位・76.9万枚。1月20日発売。安井かずみ作詞、平尾昌晃作曲。

花の首飾り/銀河のロマンス のサムネイル

花の首飾り/銀河のロマンス / ザ・タイガース ── 年間6位・67.6万枚。「花の首飾り」の作詞は、雑誌の公募で選ばれた無名の女子学生によるもの。カップリング曲と合算しての順位。

サウンド・オブ・サイレンス のサムネイル

サウンド・オブ・サイレンス / サイモン&ガーファンクル ── 年間7位・58.3万枚。洋楽もオリコン年間TOP10に食い込んでいた、チャート草創期ならではの一曲。

ゆうべの秘密 のサムネイル

ゆうべの秘密 / 小川知子 ── 年間8位・52.9万枚。小川知子のデビュー曲。

マサチューセッツ のサムネイル

マサチューセッツ / ビー・ジーズ ── 年間9位・51.7万枚。動画はドイツの音楽番組『Beat-Club』アーカイブより。

シーシーシー のサムネイル

シーシーシー / ザ・タイガース ── 年間10位・50.7万枚。ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」とともに、1968年夏のGS対決を象徴する一曲。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。

第四章

この年の台

実機の写真は使えないため、対応する動画があるものだけYouTube公式のサムネイルを表示する方式にしています。

正直に書く。1968年に発売され、名前が確認できる機種は、今回の調査では見つからなかった。 SANKYO公式のオンライン博物館、日本遊技機工業組合の沿革ページ、各種の機種データベースを あたっても、この年単体で語られる新台情報には行き当たらなかった。

手打ち式が主流だった時代で、個別の機種名そのものが記録として残りにくかった時期にあたる。 1967年のSANKYO第一号機『飛鳥』と、1969年の『ロータリー』のあいだに、名前の記録の上では 1968年という一年がまるごと空いている——それが今のところの、この年の台の実像だ。 実際にこの年ホールに通っていた記憶がある方は、ぜひこのページの一番下に書き残してほしい。

1968年の機種として記録できているものは、現時点ではありません。 1968年前後の年表を見る →

第五章

あの頃の空気 ── GSブームと、生まれたばかりのチャート

この年、街の音楽シーンはグループサウンズ(GS)一色だった。8月12日、ザ・タイガースが日本人アーティストとして初めて単独でのスタジアム公演を行うなど、ライバルのザ・テンプターズと人気を二分する熱狂ぶりだった。テレビアニメでは『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』の放送が始まり、7月11日には少年たちのバイブルとなる『週刊少年ジャンプ』が創刊。11月にはさいとう・たかをの代表作『ゴルゴ13』の連載も始まっている。

世の中を揺るがす出来事も相次いだ一年だった。10月17日、川端康成が日本人として初めてノーベル文学賞を受賞。12月10日には東京・府中市で現金輸送車が消え、被害総額およそ2億9430万円という「3億円事件」が起きる(犯人は特定されないまま1975年に時効が成立した)。6月26日には小笠原諸島が日本に返還され、大学では東大紛争が激しさを増していった年でもある。

実はこの年の1月4日、オリコンの週間シングルチャートが誕生している。この年表の『この年の音』が1968年から急に曲名・売上まで裏付けが取れるようになるのは、偶然ではない——日本の音楽チャートそのものが、この年に生まれたからだ。

第六章

『三店方式』、最初の判例

パチンコホールで手に入れた景品を、店の外にある交換所で現金に換える——今では当たり前になっているこの仕組み、いわゆる「三店方式」が最初に司法の場で扱われたのが、この頃だった。昭和43(1968)年6月17日、福岡高等裁判所は、ホール経営者が買い取った特殊景品について、それが実際にそのホール自身が提供したものだと証拠上特定できないとして、無罪の判断を示した。

この判決は「三店方式そのものを合法と認めた」というわけではなく、景品交換のルートを刑事裁判で立証することの難しさを浮き彫りにしたものだった。それでも、のちのちまで業界史の中で参照される判例として名を残すことになる。今、全国のホールで日常的に行われている景品交換の仕組みの土台の一部が、この年、静かに積まれていた。

第七章

数字で見る1968

1玉2円貸玉料金。1949年に定められ、この年も据え置きのまま
0機種この年に名前が確認できているパチンコ・パチスロの数
159.6万枚「星影のワルツ」(千昌夫)年間1位の売上
約2万円1968年ごろの大卒初任給の目安
1968年1月4日オリコンの週間シングルチャートが始まった日
1968年7月11日『週刊少年ジャンプ』創刊
約2億9430万円12月10日「3億円事件」の被害額(現金・小切手・債券)
1968年10月17日川端康成、日本人として初のノーベル文学賞受賞
1968年6月17日福岡高裁、特殊景品を巡り無罪判決(三店方式に関わる最初期の判例)
第八章

あなたの1968年

この年、あなたはどこで何をしていましたか。

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