飛鳥
SANKYOSANKYO記念すべき第一号機。同社公式サイトの社史ページでは「すべてここから始まった SANKYO第一号機」と紹介されている。手打ちの木製盤面が主流だった時代の一台で、 この後『吾妻』『茜』、そして1977年の『ブレンド』(のちの『フィーバー』シリーズの原型)へと続く、 SANKYOという会社そのものの出発点になった。
特集 ─ 昭和42年
1967
茶の間では『ウルトラセブン』が始まり、街ではミニスカートのツイッギーが旋風を巻き起こし、 グループサウンズが最高潮を迎えていた1967年。新潟水俣病や四日市ぜんそくの提訴が相次ぎ、 公害問題がはじめて社会全体の関心事になった年でもある。ホールの外がそんな騒がしさに 包まれるなか、のちに『フィーバー』シリーズで一時代を築くことになるSANKYOが、 記念すべき第一号機『飛鳥』を送り出した。当時それを打っていた誰も、これがその後何十年も 続くメーカーの歴史の、いちばん最初の一台になるとは思っていなかっただろう。
← 思い出年表にもどる1967年のホールは、まだ手打ちの木製盤面が主流だった時代である。玉を弾くのはレバーではなく 手のひらの力そのもの、電動式ハンドルの認可はまだ6年先の1973年を待たなければならない。 前年の1966年には役物の基準が緩和され、それまで一部地域限定だったチューリップが 全国のホールに広がり、年間400〜500万個が売れるほどのブームになっていた——そんな空気の中に、 1967年は位置している。
そして同じ1966年4月、名古屋で株式会社中央製作所という会社が設立され、同年11月に 「三共(SANKYO)」へと商号を変更していた。その第一号機として1967年に送り出されたのが 『飛鳥』である。SANKYO公式サイトの社史ページでは「すべてここから始まった SANKYO第一号機」と紹介されており、詳しい盤面構成を伝える資料は乏しいものの、 その存在自体が会社の出発点として記録されている。
この後、SANKYOは『吾妻』『茜』といった台枠名でシリーズを重ね、1977年の 『ブレンド』——のちの『フィーバー』シリーズの原型——へとつながっていく。 1967年に打たれていた『飛鳥』を知る人は今ではごくわずかだが、それは間違いなく、 後年日本中のホールを席巻することになる一台の、いちばん最初のページだった。
この年、記録として確認できている機種は1機種のみです。対応する実写・アーカイブ動画は見つかっていません。
SANKYO記念すべき第一号機。同社公式サイトの社史ページでは「すべてここから始まった SANKYO第一号機」と紹介されている。手打ちの木製盤面が主流だった時代の一台で、 この後『吾妻』『茜』、そして1977年の『ブレンド』(のちの『フィーバー』シリーズの原型)へと続く、 SANKYOという会社そのものの出発点になった。
10月18日、"ミニスカートの女王"と呼ばれたイギリス人モデルツイッギーが羽田空港に降り立った。 出迎えたファンは約1,000人、ビートルズ来日に迫るほどの熱狂だったという。招いたのは東洋レーヨン (現・東レ)で、森永製菓・トヨタとの3社合同招待。3週間の滞在中、東京・大阪など7都市で ファッションショーを開き、それまでロング丈が主流だった日本のファッション界にミニスカートを 一気に広めた。この来日の日にちなんで、10月18日はのちに「ミニスカートの日」と呼ばれるようになる。
街の風景も変わり始めていた。この年の夏ごろから、新宿駅東口の広場に、定職も定住先も持たない 若者たちがたむろするようになる。彼らは「フーテン族」と呼ばれ、多いときで2,000人ほどが 集まったという。ジャズ喫茶に入り浸り、通行人をぼんやり眺めて時間を過ごす――のちのヒッピー文化、 ドロップアウト文化の走りとされる現象だった。
漫画の世界にも変化があった。11月12日号の『週刊少年マガジン』で、水木しげるの連載作品が 『墓場の鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』へと改題される。翌1968年のテレビアニメ化を控えての 改題で、以後この名前が定着した。ちなみに同誌の値段はこの年、50円から60円に値上げされている。
フーテン族 ─ 1967&1968 ── 新宿駅東口にたむろしていた若者たちの記録映像。
昭和42年(1967)12月頃のCM ── 白黒テレビ時代に実際に流れていたCMをまとめた貴重な映像。
動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。
ホールの外では、エレキギターを鳴らす若者たちのグループが一大ブームを巻き起こしていた。 グループ・サウンズ(GS)と呼ばれるこの音楽ムーブメントは、1967年の初夏から1969年春にかけて 絶頂を迎える。火付け役はジャッキー吉川とブルー・コメッツやザ・スパイダースだが、この年最大の 主役は2月5日にシングル『僕のマリー』でデビューしたザ・タイガースだった。
『僕のマリー』に続き、5月発売の『シーサイド・バウンド』がヒット。『シャボン玉ホリデー』などの テレビ番組出演も重なり、中高生を中心に爆発的な人気を獲得する。ザ・スパイダースも3月の 『太陽の翼』、10月の『いつまでもどこまでも』とヒットを連発し、ザ・テンプターズ、オックスといった 後続グループも次々に現れて、日本中の茶の間と街角にエレキサウンドが鳴り響く時代になった。
僕のマリー / ザ・タイガース ── 2月5日発売のデビュー曲。GSブームの中心的存在になっていく。
バン・バン・バン / ザ・スパイダース ── GSブーム初期を支えた人気グループによる一曲。
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