特集 ─ 昭和41年

1966

チューリップが、
全国に広がった年。

6月29日未明、羽田空港に降り立った4人の若者に、日本中が熱狂した──ビートルズ来日、日本武道館で計5公演。 同じ年の7月17日には特撮ドラマ『ウルトラマン』の放送が始まり、平均視聴率36.8%というお化け番組になっている。 ホールの中でも、静かに大きな変化が起きていた年だった。遊技機の役物基準が緩和されて36種類が正式に認可され、 それまで一部地域限定だった『チューリップ』は全国に広がり、年間400〜500万個という爆発的なヒットになる。 落ち込んでいたホール数も、この年ようやく1万店台まで回復した。そして4月、名古屋で一軒の会社が産声を上げている。 11月に社名を株式会社三共に改めたこの会社は、翌1967年に第一号機『飛鳥』を送り出し、のちの業界最大手になっていく ──ただし、まだ個々の機種名が記録として残っている年ではない。もう一つ、この年は「ひのえうま」でもあり、 迷信により出生数は前年比25%減の136万1千人まで落ち込んだ。

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第一章

役物基準緩和と、チューリップの全国区デビュー

1966年のホールは、静かだが大きな転換点を迎えていた。遊技機の役物基準が緩和され、36種類の役物が 正式に認可されたことで、それまで一部地域限定だった『チューリップ』が全国のホールに一気に広がったのである。 1960年に成田製作所が特許を取得したこの部品は、玉が入賞すると羽根が一定時間開いたままになる仕組みで、 1955年の連発式規制以来続いていた業界の『冬の時代』を抜け出す原動力になっていた。

チューリップの年間生産・販売数は400〜500万個という爆発的な数字に達し、落ち込んでいた全国の ホール数も、この年ようやく1万店台まで回復した。個々の機種名より、ひとつの部品そのものが 業界の空気を塗り替えた──1966年とは、そういう年だった。

そしてもうひとつ、この年の4月、名古屋で一軒の小さな会社が産声を上げている。11月に社名を 株式会社三共に改めたこの会社は、翌1967年に第一号機『飛鳥』を送り出し、のちに業界最大手へと 成長していく。ただしこの1966年時点ではまだ会社が生まれたばかりで、個々の機種名が記録として 残っている年ではない。

一部の役物が、業界の主役だった年。
『チューリップ』という小さな部品が、全国のホールの表情を塗り替えた。
第二章

ホールの中で、世の中で

🎰 ホールの中
🗾 世の中
4月
名古屋で株式会社中央製作所(のちのSANKYO)設立
─
6月
─
29日未明、ビートルズが羽田空港に到着。日本武道館で計5公演(〜7月2日)
7月
─
17日、『ウルトラマン』放送開始(平均視聴率36.8%)/『週刊少年マガジン』で『巨人の星』連載開始
11月
株式会社中央製作所が『株式会社三共』に社名変更
─
通年
役物基準緩和で36種類認可。『チューリップ』全国解禁(年間400〜500万個)/『ニュー・オリンピア』発売(ボーナスゲーム搭載とされる)。ホール数も1万店台まで回復
『ひのえうま』の迷信で出生数が前年比25%減の136万1千人に
第三章

この年の音 ── 1966年の代表ヒット

オリコン年間チャート開始前。年代流行・レコード大賞等の資料から選んだ代表曲。 レコード大賞『霧氷』を先頭に、実在を確認できた6曲。

霧氷 のサムネイル

霧氷 / 橋幸夫 ── 第8回日本レコード大賞。動画はTopic提供。

星影のワルツ のサムネイル

星影のワルツ / 千昌夫 ── 1966年発売。のち1968年オリコン年間1位まで上り詰めるロングヒットの起点。

恍惚のブルース のサムネイル

恍惚のブルース / 青江三奈 ── 青江三奈の代表曲。動画はTopic提供。

バラが咲いた のサムネイル

バラが咲いた / マイク真木 ── フォーク/ポップス寄りに新しい風を吹き込んだ一曲。

霧の摩周湖 のサムネイル

霧の摩周湖 / 布施明 ── 布施明の出世作。動画はTopic提供。

柳ヶ瀬ブルース のサムネイル

柳ヶ瀬ブルース / 美川憲一 ── 日本クラウン公式オーディオ(新録音)。ご当地ブルースの定番。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。オリコン年間チャート開始前の年は、レコード大賞・年代流行資料・実売記録の一致をもとに選んでいます(並びは公式順位ではありません)。

第四章

この年の台 ── 収録2機種(パチンコ1/スロット1)

machines.jsと同期(パチンコ1/スロット1)。役物『チューリップ』の全国解禁と、オリンピア第2弾『ニュー・オリンピア』。実機動画は個別検索したが、1960年代の残存は少なく文章中心の紹介になる。

チューリップ(役物基準緩和・全国解禁)の動画 ▶ パチンコ ─ 役物(部品)

チューリップ(役物基準緩和・全国解禁)

日工組ほか・全国の各メーカー

1966年、遊技機の基準緩和で36種類の役物が正式に認可され、それまで一部地域限定だった『チューリップ』(1960年に成田製作所が開発・特許取得。一度入賞すると羽根が一定時間開いたままになる役物)が全国のホールに広がった。年間の生産・販売数は400〜500万個に達したとされる。同じ年の4月には、のちに業界最大手となる三共(SANKYO、当時の社名は株式会社中央製作所)が名古屋で設立されている(11月に商号変更)。第一号機『飛鳥』の発売は翌1967年。

調べたこと

※出典についての注記。「36種類の役物が認可された」の一次資料は日本遊技機工業組合の刊行物『25年のあゆみ』(1980年、24-25頁)で、これを東京大学のディスカッションペーパーが引用している。日工組の公式サイトの年表には1966年の項目そのものが無い(1965年の次が1969年に飛ぶ)ので、「日工組の年表で確認した」とは書けない。※同論文は「第1の山、1966年単年度の製造台数の急増は、規制緩和による役物の認可を背景にした、チューリップの全国人気を反映していた」とも書いており、緩和の効果が製造台数に表れている。

パチスロ ─ 0号機

ニュー・オリンピア

オリンピア

1966年発売のオリンピア第2弾。初代『オリンピア・スター』に続き、パチスロ史上初めてボーナスゲームを搭載したとされる機種。1965年に東京へ専門店が現れ、1966年末までに全国約20軒へ広がった「オリンピアマシン」ブームのただ中に投入された。現存のパチスロメーカー・オリンピアとは別会社の製品。実機動画は見つからなかった。

調べたこと

オリンピアが作った日本のホール向けの回胴式遊技機。1972年のセガの価格表に26万円で載っている。※発売年は資料が割れており、日本のパチスロ系資料(Wikipedia・特許庁の年表)は1966年、海外のエレメカ系資料は1969年としている。この年に置いてあるのは前者と一致するが、確定はできていない。

動画のない機種は、1機種ずつ探したうえで見つからなかったものです。

1966年の全機種を年表で見る →

全機種一覧

1966年に導入された2機種を、導入月の順に並べています。種別ボタンで絞り込めます。

読み込み中…

年表でも同じ一覧を見られます。 1966年の全機種を年表で見る →

第五章

ビートルズ来日 ── 熱狂の103時間

6月29日午前3時39分、台風の影響で到着が大幅に遅れながら、ビートルズの4人を乗せた飛行機が羽田空港に 着陸した。空港には徹夜で待ちわびたファンが詰めかけていた。日本滞在はわずか103時間。ホテルから ほとんど外出できないまま、慌ただしく5日間を東京で過ごしている。

6月30日夜、7月1日・7月2日の昼と夜、日本武道館で計5回のコンサートが開かれた。各公演はわずか 35分・11曲という短いステージだったが、『武道の殿堂』である武道館でロックのコンサートを開くこと 自体に反対の声も上がるなど、物々しい空気の中での来日公演だった。それでも会場はファンの熱狂に 包まれ、この5公演は日本の音楽興行史を語るうえで欠かせない伝説になっている。

ビートルズ来日映像まとめのサムネイル

ザ・ビートルズ 1966年6月29日羽田空港到着 来日映像まとめ ── 羽田空港到着時の実際の来日映像をまとめたアーカイブ映像。当時の熱狂ぶりがそのまま記録されている。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。再生できない場合は動画側の設定によるものです。

第六章

あの頃の空気 ── 街とテレビ

ビートルズ来日の影響は、あっという間に日本の若者のファッションに広がった。彼らの髪型をまねた マッシュルームカットや、細身のスーツに丸襟シャツを合わせるモッズルックが街にあふれ、 それまでとは違う『洋楽・洋装』の空気を運んできた。

テレビの前では、7月17日に放送が始まった特撮ドラマ『ウルトラマン』が国民的な人気番組になっていた。 本放送の平均視聴率は36.8%、最高42.8%を記録し、以後の怪獣・特撮ブームの原点になる。本屋の棚では、 『週刊少年マガジン』19号から『巨人の星』(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)の連載が始まった 年でもある。のちにアニメ化され、根性もの=『スポ根』ブームの先駆けになっていく。

一方でこの年は「ひのえうま」──60年に一度巡ってくる干支で、この年生まれの女性は気性が荒いという 迷信があった──にもあたる。多くの夫婦が出産の時期をずらした結果、1966年の出生数は136万1千人と、 前年より25%も少なくなった。

この年の顔

その年のCMには、当時よく見た顔がそのまま映っている。街の記録や、公式チャンネルに残っている映像とあわせて。

Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966のサムネイル

Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 ── オランダ人写真家マイケル・ロッゲが当時16mmフィルムで撮った東京の日常。街を歩く人の服装や表情が、そのまま残っている。

昭和41年TV Musicメドレーのサムネイル

昭和41年 TV Music/1966年放送開始テレビ主題歌メドレー ── 1966年に放送が始まったテレビ番組の主題歌をまとめたメドレー映像。当時のテレビの空気がそのまま残っている懐かしのTV音楽チャンネルより。

動画はYouTubeの公開プレイヤーをそのまま埋め込んでいます。

第七章

数字で見る1966

400〜500万個チューリップ(役物)の年間生産・販売数。1966年の役物基準緩和で全国に広がった
136.1万人1966年の出生数。『ひのえうま』の迷信で前年より25%減った
36.8%『ウルトラマン』本放送の平均視聴率(最高42.8%)
約1万店1966年、落ち込んでいたホール数がようやく回復した水準
2円貸玉料金。1949年に定められた1玉2円が、この頃もまだ続いていた
1966年6月29日ビートルズ来日。日本滞在はわずか103時間だった
5公演日本武道館で開かれたビートルズ公演の回数(6月30日〜7月2日)
36種類1966年に正式認可された役物の種類数
1966年7月17日特撮ドラマ『ウルトラマン』放送開始
第八章

あなたの1966年

この年、あなたはどこで何をしていましたか。

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