レコンジスター
西陣アウト玉(外れ玉)を自動的に補給器へ還元する機構を備え、それまで人手で行っていた玉の運搬・補給を省力化した一台。同じ年、西陣はホールの島構造そのものも見直し、従来の三尺島から一尺島へ改めるなど、店舗運営の効率化に力を入れていた。連発式規制(1955年〜)で全国のホール数が最盛期の5分の1近くまで落ち込んだ「冬の時代」の真っただ中に登場しており、業界が地道な省力化と役物(前年1957年『ジンミット』)によって足場を立て直そうとしていた時期を象徴する機種。
特集 ─ 昭和33年
1958
1958年(昭和33年)、この年の日本には特大の象徴が誕生した。12月23日、東京タワーが完工式を迎える。 333メートルは、当時自立式鉄塔として世界一の高さだった。街ではフラフープが爆発的なブームになり、 聖徳太子の肖像の新しい一万円札が発行され、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が 売り出された年でもある。だが同じ年、パチンコホールはまったく逆の景色の中にいた。1955年からの 連発式規制で、最盛期45,317軒あったホールは、この頃約8,800軒まで落ち込んでいたとされる。 その「冬の時代」を耐えながら、西陣は省力化機種『レコンジスター』のような一台で足場を固め、 2年後の1960年、業界を一変させる「チューリップ」の登場へとつながっていく。
← 思い出年表にもどる1955年からの連発式規制で、パチンコホールは深刻な「冬の時代」に入っていた。最盛期の1953年には 全国45,317軒を数えたホールは、この1958年にはおよそ8,800軒まで落ち込んでいたとされる ――5分の1近くにまで縮んだ計算になる。オール物・連発式という射幸性の高い仕組みが姿を消し、 業界は生き残りをかけて、まったく別の方向に知恵を絞りはじめていた。
その一つの答えが、この年に西陣が世に出した『レコンジスター』だった。アウト玉(外れ玉)を 自動的に補給器へ還元する省力化機構を備え、それまで店員が手作業で行っていた玉の運搬・補給の 手間を減らす一台である。派手な演出や大当りの新機軸ではなく、ホール運営そのものの効率化 という地味な一手だったが、同じ年、西陣はホールの島構造そのものも見直し、従来の三尺島から 一尺島へ改める取り組みも進めていた。前年の1957年に登場した『ジンミット』が業界に初めて 「役物」という新しいゲーム性を持ち込んだのに対し、レコンジスターはむしろ「どうやって店を 回すか」という裏側の課題に向き合った機種だったといえる。
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アウト玉(外れ玉)を自動的に補給器へ還元する機構を備え、それまで人手で行っていた玉の運搬・補給を省力化した一台。同じ年、西陣はホールの島構造そのものも見直し、従来の三尺島から一尺島へ改めるなど、店舗運営の効率化に力を入れていた。連発式規制(1955年〜)で全国のホール数が最盛期の5分の1近くまで落ち込んだ「冬の時代」の真っただ中に登場しており、業界が地道な省力化と役物(前年1957年『ジンミット』)によって足場を立て直そうとしていた時期を象徴する機種。
この年、記録に残るパチンコ・パチスロは、この1機種のみです。 1958年を年表で見る →
10月18日、東京のデパートに一斉に並んだのがフラフープだった。大人用270円、子供用200円。 「美容と健康にいい」という触れ込みもあって早朝から長蛇の列ができ、発売からひと月で全国で 80万本が売れたという。腰を振ってフープを回す姿は瞬く間に街の風物詩になったが、路上での 事故や「フラフープが原因」と誤解された腸捻転騒ぎもあって、ブームは2カ月足らずで急速に しぼんでいった。同じ年の12月1日には、聖徳太子の肖像を刷った新しい一万円札が発行されて いる。そして2月24日、KRテレビ(現TBS)で始まった連続ドラマ『月光仮面』は、覆面の ヒーローが「正義の味方」を名乗る国産初のテレビヒーロー作品として子どもたちに大人気となった。
8月25日、日清食品(当時はサンシー殖産)が世界初のインスタントラーメン『チキンラーメン』 を発売する。85グラム入りで35円――うどん玉ひとつが6円だった時代には、かなりの高級品だった。 それでも「お湯をかけるだけ」の手軽さは爆発的な人気を呼んだ。野球界でも新しい主役が誕生 している。4月5日、後楽園球場での開幕戦でプロ入りした長嶋茂雄は、国鉄の金田正一投手 相手に4打席4三振に終わったが、この一戦を見ようと4万5000人が詰めかけた。数日後には初本塁打を 放ち、以後の“ミスタープロ野球”時代が幕を開けていく。
【貴重映像】戦後の東京(昭和33年):Tokyo 1958 ── アーカイブ映像。東京タワー完成やフラフープ流行と同じ年、実際に撮影された東京の街並み。
【TBSスパークル】1958年10月18日 フラフープ出現(昭和33年) ── TBSの映像ライブラリーが公開する、フラフープが日本に登場した当日のニュース映像。
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1957年6月に着工した東京タワー(正式名称・日本電波塔)は、1958年10月14日、地上333メートルの 先端にアンテナが取り付けられて竣工した。パリのエッフェル塔(312メートル)を21メートル 上回り、当時自立式鉄塔としては世界一の高さだった。建設に投じられたのべ作業員は約22万人、 総工費は資料により幅があるが約30億円と伝えられる。12月23日に完工式が開かれ、翌24日から 展望台が一般公開されると、初年度だけで540万人が訪れる人気スポットになった。
テレビ放送の電波塔としての役目が本格化するのは翌1959年からで、NHK教育テレビが1月10日に 東京タワーからの送信を開始している。パチンコホールの数がまだ「冬の時代」の底にあった 同じ年、街の空にはこうして新しいシンボルがそびえ立った――高度成長へ向かう日本の姿を、 その高さがそのまま映していたのかもしれない。
【TBSスパークル】1958年10月14日 世界一の東京タワー(昭和33年) ── 竣工当日、世界一の自立式鉄塔となった東京タワーを伝えるニュース映像。
1958年 東京タワー完工式【あの日 あの時 あの出来事】 ── 12月23日の完工式の様子を振り返る短編映像。
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