オール20 連発式
豊国遊機豊国遊機(豊国遊機製作所)が開発した、通称『機関銃式』。それまで玉を1個ずつ手で込めていたのに対し、ハンドルを引くたびに玉が自動でセットされ連続して打ち出せる画期的な仕組みで、爆発的にヒットした。この年、全国のパチンコ店は42,168店にまで急増する。しかし1954年に射幸心を煽るとして連発式が禁止され、1955年の規制強化でオール20自体も姿を消し、業界は『冬の時代』を迎えることになる。
特集 ─ 昭和27年
1952
4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を取り戻す。しかしそのわずか3日後、 5月1日には皇居前広場でデモ隊と警察が衝突する『血のメーデー事件』が起き、死者を出す騒乱と なった。独立の喜びと混乱が同居した、そんな年だった。ホールの中でも、大きな変化が起きていた。 豊国遊機が考案した『オール20連発式』——通称『機関銃式』——がハンドルひとつで玉を連射する 快感を生み、全国のパチンコ店は一気に42,168店へと膨れ上がる。翌1953年のピーク (45,317店)に向かう、パチンコ第一次黄金時代の入り口の年だった。
← 思い出年表にもどる4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は7年近くに及んだ連合国の占領を離れる。 そのわずか3日後、5月1日には皇居前広場でデモ隊と警察が衝突し、死者を出す騒乱となった 『血のメーデー事件』が起きた。独立を果たした喜びと、いまだ収まらない社会の混乱が 同居する、そんな年だった。
ホールの中でも、大きな変化が起きていた。豊国遊機(豊国遊機製作所)が考案した 『オール20連発式』——通称『機関銃式』——である。それまで玉は1個ずつ手で込めるのが 当たり前だったが、この台はハンドルを引くたびに玉が自動でセットされ、連続して打ち出せた。 この画期的な仕組みが爆発的にヒットし、全国のパチンコ店は前年から一気に急増、 この年42,168店を数えるまでになる。貸玉料金は1玉2円、景品交換の上限は100円—— ともに1949年に定められたルールが、この年もそのまま続いていた。
ただし、この盛り上がりは長くは続かない。翌1953年には45,317店とホール数がピークを 迎えるものの、1954年には射幸心を煽るとして連発式そのものが禁止され、1955年の規制強化で オール20自体も姿を消す。1952年は、パチンコ第一次黄金時代の入り口であると同時に、 その終わりの種もすでに蒔かれていた年でもあった。
実機の写真は使えないため、当時の資料をもとに紹介しています。1952年は資料に残る具体的な機種名が非常に少なく、確実に裏取りできた2機種のみを掲載しています。この年代の機械式パチンコの現存個体はほぼ博物館所蔵で、稼働動画も見つかっていません。
豊国遊機(豊国遊機製作所)が開発した、通称『機関銃式』。それまで玉を1個ずつ手で込めていたのに対し、ハンドルを引くたびに玉が自動でセットされ連続して打ち出せる画期的な仕組みで、爆発的にヒットした。この年、全国のパチンコ店は42,168店にまで急増する。しかし1954年に射幸心を煽るとして連発式が禁止され、1955年の規制強化でオール20自体も姿を消し、業界は『冬の時代』を迎えることになる。
入賞口まわりの装飾に工夫を凝らし、客の目を楽しませる『はったり』を売りにしたオール10型。日本遊技機工業組合の公式資料によれば、翌1953年(昭和28年)ごろの主流機種になったとされる。個別のメーカー名までは資料上確認できていない。
4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は7年近くに及んだ連合国の占領を離れ、主権を回復する。街の空気も少しずつ変わりはじめた。それまでのアメリカ一辺倒だったファッションの視線がパリ・モードへ移りはじめ、ナイロンなど新しい化学繊維が服づくりに使われるようになる。まだテレビは各家庭になく(NHKの本放送開始は翌1953年2月)、世の中を知る窓口はもっぱらラジオと新聞、そして映画館で流れるニュース映画だった。
本屋の棚では、のちに国民的キャラクターとなる存在が産声をあげている。4月、雑誌『少年』(光文社)で、手塚治虫が前作『アトム大使』の脇役だったロボットを主役に据え、『鉄腕アトム』の連載を開始した。連載は1968年まで16年間続き、1963年には日本初の本格テレビアニメシリーズとしてブームを巻き起こすことになるが、その原点はこの1952年にあった。
「サンフランシスコ平和条約」No.IM-0182_1 ── 中日映画社が保管するニュースフィルムのアーカイブ映像。講和条約発効当時のニュース映像として公開されている。
手塚治虫さん作品「最新技術で現代風アレンジ」…漫画「鉄腕アトム」連載開始70周年 ── RKB毎日放送NEWSによる報道。1952年4月に始まった連載の来歴を伝えている。
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4月10日、NHKラジオ第一放送で連続放送劇『君の名は』が始まる。脚本は菊田一夫、音楽は古関裕而。東京大空襲の夜に出会った男女が、名乗り合わないまま再会を誓うすれ違いの恋物語だった。放送は1954年4月まで2年間・全98回続き、放送時間になると銭湯の女湯が空になると言われるほどの熱狂を呼んだ。
ヒロイン真知子が首から頭にかけて巻いたストールは「真知子巻き」と呼ばれ、女性たちがこぞって真似をする一大ファッションになる。あまりの人気に翌1953年には映画化(佐田啓二・岸恵子主演)もされ、三部作として記録的な大ヒット。パチンコがまだ『連発式』で沸いていたのと同じ年、お茶の間ならぬラジオの前では、まったく別の熱狂が生まれていた。
映画『君の名は』(昭和28年 佐田啓二/岸恵子)歌:織井茂子 作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而 ── 1953年公開の映画版主題歌(織井茂子)の旧録音。ラジオドラマ自体は1952年開始で、その反響の大きさを伝える資料としてあわせて紹介。
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